ダライラマの「真中の道」はどこに通じるのか?

 

つい最近、ダライは1つの「真中の道」という新しい論調を持ち出し、「1974年いらい、私はずっと互恵を基礎とする真中の道という立場を堅持してきた。いわゆる真中の道とは、つまりすべてのチベット族の人たちが統一した行政管理のもとで名実ともに備わる民族地域自治を実行し、それによって本当に主人公となり、自分たちでみずからの実務を管理することを実施し、外交と国防実務を除いてチベット族の指導者とチベット族の幹部にチベット実務管理の責任を負わせるということである」と語っている。

 

聞いたところでは、ダライがすでに完全に「チベットの独立」を放棄し、民族地域自治への支持に転じ、「チベット民族の未来」のために考えているようである。しかし、今回「チベット独立」の下心を更に深く装っているにもかかわらず、彼は依然として「文字のゲーム」をもて遊んでいるのである。

 

この「文字のゲーム」の急所の1つは「すべてのチベット族の人たち」ということである。この「総称」の言葉はチベット地域およびそれ以外地域のその他のチベット族の人たちを全部含むことであり、これはほかでもなく彼の企んでいるいわゆる「大チベット地区」の複製品である。歴史上において、チベット族の数ヵ所の集中居住地域は従来1つの統一した行政区域を形成したことはなく、もとのチベット地方政府も従来からチベット以外のその他のチベット族居住区を管轄したことはない。宗教から見れば、ダライラマによって管轄された「大チベット」は存在しない。民族から見ても、青海・チベット高原地域は1つのチベット族を主とする多民族が暮らしてきた地域である。「すべてのチベット族の人たち」の「民族地域自治」は歴史的根拠もなければ、現実において実施しようとしてもできないものである。

 

ダライは本当に「1974年いらいずっと真中の道を堅持してきた」のか?彼はいま一度うそをついている。ある時期に、ダライラマは公開の言論の中で「真中の道」に言及することは非常に少なく、公然と「チベットの独立」の吹聴に変わった。1989年、ダライは「5年以内にチベットの独立は実現できる」と予言した。1991年に、「3年内に必ずチベットを独立した国に作り上げなければならない」と公言した。1995年に彼はまた「チベット独立の日がまもなく訪れ、私はチベットが中国を離れ、徹底的な独立を実現することを宣言するであろう」と予言した。それ以後、情勢の発展がいつも彼らを失望させてきたため、ダライはやむなくいま一度「真中の道」という論調に立ち戻ったのである。

 

いわゆる「真中の道」は、ダライがそれを打ち出した後から、情勢の変化のため多くの偽装をこらしたとはいえ、形式上いろいろと姿を変えても本質は変わっていない。1987年の「5カ条の平和計画」と1988年の「ストラスブール提案」から、後の「大チベット地区」、「高度の自治」まで、更に「本当の自治」、「名実ともの自治」に至るまで、その「チベットの独立」を求める下心は従来から変わったことはない。ダライラマグループの『チベット雑誌』の編集者ドンチュツリンが認めているように、「ダライラマのチベット平和についての5カ条の計画およびストラスブール提案の要求とチベットの独立に違いはない」。ダライラマグループの重要な人物のギャムレドンチュとサントンはかつて、「第1のステップとして、まずチベットで『自治』の名義で半ば独立を実現し、第2のステップとして、さらに『チベットの独立』へと移行する」と語ったことがある。ダライラマの弟のタンゾンチュジェは 、「私達はまず自治を求め、それから更に中国人を追い払わなければならない」と表明した。

 

もしダライが本当に「チベット民族の未来」のことを考えるならば、彼は「真中の道」という看板をかかげ、さまざまな偽装でその「チベットを独立させる」企みを推し進めるのではなく、チベットは中国の切っても切れない一部分であることを認め、徹底的に「チベット独立」の主張を放棄し、祖国を分裂させるすべての活動を止めるべきである。

 

「チャイナネット」 2008年4月25日

 

 

 
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