Aさんは“悪魔”か

安徽省合肥市在住  陳寧

※文中の個人名については、筆者である陳寧さんの承諾を得て、Aさん、Bさんという表記に変えさえていただきました。

※個人名については、筆者の陳さんの承諾を得て、A、Bという表記に変えさえていただきました。

十数年前、私の勤めていたテレビ工場は好調でした。人々は狂ったようにカラーテレビを買い求め、テレビの価格は日を追って高くなり、従業員の収入も夢のように上がりました。あっという間に工場は省都でも有名な三高企業―高技術、高収入、高級幹部の子弟の集まり―となったのです。

当時の社会ではカラーテレビの購入熱が余りに高かったので、工場の責任者は、日本から部品を緊急輸入して市場の需要急騰に対応しようとしました。Aさんも、そのため我が職場にやってきたのでした。

Aさんは、典型的な日本人でした。ほっそりとして温和で、人に会えばお辞儀をし、風のように歩いていました。技術の専門家としては疑いなく一流でした。千種類にも上る部品類を彼の指揮下で分類し入庫するのに、何とたった一晩しかかかりませんでした。昼間も、彼は従業員の指導と業務改善に着手しました。まさに典型的な日本的ワーカホリックだったのです。二階建ての旧い倉庫一棟が、彼の指揮のもと、僅か数日で生まれ変わりました。塵一つなく、作業工程は明確化され、目を見張るほど近代化した工場施設になってしまったのです。次に人員配置のことですが、奇妙なことに、Aさんは常に何名かの若いきれいな女性従業員を選んでは持ち場に配置しました。しかも、彼は、時々心を奪われたようにぼんやりとしていたのです。「中国の女の子は皆こんなにきれいなのか?」とよく聞かれました。Aさんはもともと貧しい家の出だったのですが、刻苦奮闘の末、日本の某大企業の一員になったのでした。彼は事業では成果をあげたものの独り身で、38歳にもなる男やもめでした。

彼の管理するラインは完全に日本式でした。勤務中の従業員は彼に服従せざるを得ませんでした。彼の叱責は少しも容赦がありませんでした。彼は音もなく神出鬼没に各所で姿を現しました。従業員のトイレ休憩もベルで時間を限定したり、これは当時の国有企業の職員は誰も経験したことのないような管理でした。皆は密かに彼を“悪魔”、“監視人”、“年老いた変態の男やもめ”と呼んでは胸のうちにある恨みを発散させていました。

Aさんにとって意外だったのは、元々カラーテレビ生産ラインは効率がとても高かったのですが、ラインを一本増設すると、品質や効率は却って低下してしまったことでした。“悪魔”Aさんはうまく生産ラインを稼働させられてないことに気づき、両眼を充血させ、口もとには水ぶくれまでできました。彼は気が狂ったように問題点を追究し、人員を再配置して、作業工程にまで手を加えましたが、何の足しにもなりませんでした。やむなく、彼は極度に困惑しつつも、従業員には生産手順を厳格に実行するよう更に苛酷に要求し、その上、従業員の福利、賞与、そして給料まで減らし始めたのです。考えれば分かることですが、国有企業の大きなタブーを犯したのです。従業員とAさんの衝突は絶えませんでした…。

ある日、遂にAさんは皆の怒りを買い、ライン全体がストライキを起こしました。Bさんという従業員は、作業台で間食をとっているところをAさんに見つかり、酷く罵しられました。次の日も、材料を待っている間、何とBさんは、新聞紙を顔にかけて作業台で堂々と寝ていたのです。Aさんは激怒して彼を作業台から蹴り落としました。ちょっとした出来事でしたが、尾ひれが付いて“日本の鬼が、中国人を侮辱”という大事件になってしまいました。それで、従業員一同は憤激し、Aさんが非を認めて謝罪しない限り、仕事には戻らないと申し合わせたのでした。老工場長がどんなに取りなそうとしても、双方は緊張してにらみ合いが続きました。最終的には、東京の本社からの電話で、Aさんは日本に呼び戻されました。

聞いたところでは、Aさんは帰国前、尻を蹴ったBさんに涙ながらに謝ったそうです。人々は駆け回って歓呼しました。「さらばだA!我々の勝ちだ!」と。

全ては平静を取り戻しました。惜しむらくは、絶好調だったテレビ工場が数年でその勢いを失ったことです。老工場長が定年退職前に「10年は仕事をしなくても工場の全員を養える」と言っていた資金も、2年と持ちませんでした。工場は急速に破産の縁に立たされ、制度改革と破産を何度も繰り返しましたが、起死回生はできませんでした。遂にある日、工場は国内のある大企業グループに吸収されてしまいました。仕事はかなりきつくなりましたが、従業員の収入は低下しました。一家を支えるため、多くの従業員は希望を見出せない状況で、終身あてにできるはずだった国有工場をやむなく去っていきました。

熟慮検討し、あれこれ努力をした結果、私も待遇の良い外資企業と連絡を取ることができました。厳しい競争を突破し、遂に面接試験の通知を受け取りました。これが、最後の関門です。私はとても興奮し、主任面接官が出す可能性のある様々な難問と私が答えたらよい最良の回答案を想定し、自信満々で臨みました。

正に私が自信たっぷりにラストスパートをかけようとしていた時、私は驚いて茫然自失の状態になってしまいました。記憶はそこから中断し、その結果、今なお依然として思い出せないのですが、その時、周到に準備して提出した個人資料を奪うように取り戻し、私は狼狽して逃げ出したのです。面接試験に進んだのは私一人だけだったというのに。何故かというと、私はその時の主任面接官であるAさんと顔を合わせることができなかったからです。

 

人民中国インターネット版 2008年12月4日

 

 

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