私と私の日本の“先生”

重慶市 呂莎

私は、よく学生を連れて南山へ桜の花を見に行く。美しい吉野の桜が花吹雪となる景色のことを教え、日本民族が感じる独特の物悲しい美しさについて理解してもらうのだ。「源氏物語」に出てくる玉のような美人の話を学生たちに聞かせ、その時代特有の面白い風俗習慣についても説明する。教室で紅白歌合戦を見せ、紅組と白組のどちらが優れているかについて論争することもある。一緒に歌舞伎の舞踊を見、三味線の柔らかく悲しげな独特の音色を鑑賞したりする。彼らと共にあの美しい着物の画像を見、その体現する日本民族の服従性を聞かせたりとか―。

 若い頃、私は、軽率にも自分の専攻である日本語教育が気に入らないということを何度も口にしていた。実際の日本文化を見に行くことができず、日本の内政や外交を理解するのも面倒で、日本に関する事柄を自主的に理解しようということなど全くなかった。それが、ある人たちに出会い、ようやく興味を持って学習することができるようになったのだ。

(一)

私は、白いズボンを穿いた日本人の女性が、クラス全員の前でにこにこと膝をつき、日本人の正座が面倒だということを教えてくれたのを今でも覚えている。教壇が埃まみれであることなど気にとめるそぶりもなく、こうやって、こうやって・・・と彼女が日本の家庭での習慣を話している時、私が意地悪く口を挟んで「どういう姿勢で座るのか、やってみてくれない。」と聞いたばかりに、彼女は壇上で真面目に跪いて座ったのだ。とても自然で優しい仕草だった。彼女は先生だから、授業の疑問に答えたまでのことである。学生が分からなければ、彼女は奥深い物事をごく分かり易く示し、自ら手本となったのだ。あのひと時、私はとてもばつの悪い思いをした。

(二)

実際、私は遊んでばかりいる女の子で、学生時代には、普通、朝自習には行かなかった。ある日、にこにこした日本語の外国人教師である64歳の元気なお年寄りに、「呂さん、君の声は澄んでいて綺麗だね。そういう声を多く聞くと長生きできそうだ。明日から毎朝、私に本を読んで聞かせてくれないかい?」と言われるまでは。その時、私は気の向くままに頷いたが、直ぐにそんなことはすっかり忘れてしまい、その翌日、まだ寝ていた私をその先生が長いこと教室でお待ちになっていたのだと学部主任にひどく怒られた。ラストスパートをかけ教室に駆け込んだ私は、本を読みながら、楽しげに私の朗読を聞いているお年寄りに憎しみの眼差しを注いだ。それから一年後、驚いたことに、私は流暢な日本語を使うことができるようになっていた。依然として一人で陶酔したように聞き入っているお年寄りを見ていると、私の心には段々と温かいものが流れてきた。

(三)

一生で最も疲れた時期は、恐らく2005年のインターンシップの頃だろう。その時は長安フォード支社でアシスタントの仕事をしていた。緊急の仕事を受注することとなったため、会社がわざわざ日本から専門家を招請して鋳型の整理改善に参画してもらうことになり、専門の技術チームを組んだ。私はそのチームに専門家のアシスタントとして参加し、他には4人の青年技師がいた。

毎日の仕事は実は簡単なものだった。担当は、日本から来た専門家が出す技術規格を記録して技術の整理改善に参与するということだけだった。その日本人は片岡さんという60歳ぐらいの方で、雑談中、ちょっと話すと直ぐに笑う、優しい目元が親しみやすい人だった。しかし、仕事になると、彼は止まらないエンジンのように生産ラインを歩き回り、鋳型の精度を検査したり、ダンパーの高さを調整したりして、ほとんど座る暇もない様子だった。毎日夜の8時か9時まで働き、しかも1ヶ月の間休みも取らなかった。私達技術グループの面々は立て続けに悲鳴を上げ、「休まなければ、もう無理」と彼に減らず口をたたいたが、彼は穏和な笑みを湛えてこう言うだけだった。「みなさんは、少し休んでいいよ。私は、今日の仕事が追いかつなくて休めないから。」

マツダグループの技師が鋳型のサンプリングをしたその日、片岡さんだけが普段と変わらずに対処し、引き続き自分の仕事をしていたのだ。しかし、私たちにとって思いも寄らなかったのは、技師の全員が片岡さんを見ると、こぞって一礼し、身を翻して去っていったことだった。日本の技師が中国側スタッフに「片岡さんがいれば安心ですね!」と話していたということを後で耳にした。会社は、問題なく検査にパスすることができた。後から、あちこち経由して聞いたところでは、片岡さんはマツダの初代技師で、マツダ全社に共通する技術規格体系の策定に参与したことがある人であったという。そして、今回来た技師達は基本的には弟子、孫弟子に当たる人達である。言葉にならない。一言、「すごい!」。

後日、そのことを彼と話したら、彼は笑って言った。「え、そんなこと何の自慢にもならないよ!」と。

私が出会ったこれらの“先生”達を思い出すと、感嘆を禁じ得ない。私はこのように平凡な一女性であり、理解しているのも何人かの普通の日本人だけである。しかし、私が知っていることは、人間には真心というものがあり、その温かいものが心を流れるのを拒絶することはできないということである。

 

人民中国インターネット版 2008年12月4日

 

 

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