三国人物の隈取り・曹洪

写真・文 魯忠民

京劇『長坂坡』の中の曹洪の隈取り 趙永祺が侯喜瑞の隈取りに基づいて作成した

三国時代の魏の名将・曹洪は、沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の出身で、曹操の従兄弟にあたる。

190年、曹操は董卓を討伐しようと兵を挙げたが、董卓に仕える徐栄に敗れ、敵軍に追撃されるなかで馬を失くした。そこで曹洪は自分の馬を譲ろうとしたが、曹操はそれを断った。曹洪は、「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と言って曹操に馬を譲り、自分は徒歩で曹操に付き従った。その後、汴水に行く手をさえぎられて困ったときも、やはり曹洪が船を探し出し、曹操を無事に渡らせて難を逃れた。

曹洪は、親交のあった揚州刺史・陳温から2000の兵を借り、さらに丹楊で数千の兵を獲得してから、曹操と合流した。そして曹操に従い、黄巾、呂布、袁紹を討伐して、数々の戦功をあげた。蜀将の馬超が関中を攻めたとき、せっかちな曹洪は馬超軍の挑発に乗ってしまい関城を奪われたが、後に必死で戦い、再度曹操を救った。  曹丕が即位すると衛将軍となり、曹休とともに禁軍を統率した。曹洪は裕福だったにもかかわらず非常に吝嗇で、若いころ絹100匹を借りたいと申し出たのを断られた曹丕から恨まれていた。そのため、罪を犯して曹丕に処刑されそうになったが、曹丕の生母である卞太后の取りなしによって死罪は免れた。

曹丕の子・曹叡が即位すると、後将軍に任命され、楽城侯に封じられた後、驃騎将軍に昇進した。232年に他界し、恭侯の諡号を贈られた。

 

 

人民中国インターネット版 2008年12月

 

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