「先富論」には「続き」がある

 

1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市旅順名誉市民を授与される。ジェトロ海外調査部中国・北アジアチームリーダー。2001年11月から、ジェトロ北京センター所長を務めた。
中国が日本を追い越し、世界第二位の経済規模を有するのは時間の問題といわれます。こうした中国経済の成長のダイナミズムは、鄧小平氏が提唱した「改革・開放」政策と「先富論」なしには語れないでしょう。「先富論」とは「先に豊かになれる地域と人から豊かになろう」ということです。そのとおり、「改革・開放」30年で豊かになった地域と人々は少なくありません。

全方位発展の土台作り

例えば、地域について上海周辺を例に取ると、1990年代に上海の浦東新区を始めとする長江デルタ経済圏が形成され、中国経済の発展を牽引してきました。上海周辺にとどまらず、中国の地域発展戦略は全国的に展開されていて、新たな経済圏が形成され、「先富論」の実践地域は拡大しつつあります。目下、長江デルタ経済圏も汎長江デルタ経済圏(注1)へと拡大発展中です。

また例えば、汎北部湾(広西)経済区構想が実現すれば、同経済区と東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済との連携強化がはかられるなど、中国の「先富論」には国際的に発展する可能性が秘められています。

その一方、中国は地域間格差の是正を迫られています。中国の地域発展戦略の推進や経済圏の拡大は、世界経済を中国に引きつける求心力と、中国経済の国際化を推進する遠心力となっており、チャイナ・パワーの源泉といってよいでしょう。

万元戸から千万元戸へ

では、人々の暮らしはどうでしょうか。2008年、中国は一人当たり国内総生産(GDP)で初めて3000ドル(注2)の大台を突破しました。「改革・開放」が始まった1978年の一人当たりのGDPは190ドルに過ぎなかったのです(注3)。

河南省嵩県白河郷の郷政府は2008年の年末、貧しい10数戸の農家に牛を1頭ずつ贈った。これまでは麺や食用油などを贈っていたが、この牛で畜産事業を起こし、貧困から脱出すること目指している(新華社)

『フォーブス』中国地区の首席調査研究員による2009年長者番付報告によると、1000万元(約1億4000万円)以上の資産を有する中国人は82万5000人に達したとされます。1万人中6人が富豪ということになります。「改革・開放」当初、豊かさを代表したのが「万元戸」(注4)でした。物価水準なども異なるので簡単には比較できないものの、富裕の基準が大幅に向上していることがわかります。

邯鄲の夢

「改革・開放」後に企業経営者、不動産家、投資家などの「ニューリッチ層」が出現しました。彼らは昨今の金融危機の影響などで、企業経営に行き詰まったり、株価が凋落したりで、資産が大きく目減りした人も少なくありません。例えば、フォーブス社の世界長者番付にランクインしたある不動産開発関連企業の大株主は、一年間で70%も資産が目減りしたとされます。栄枯盛衰のはかなさをモチーフにした『邯鄲の夢』が思い出されますが、中には、不法行為で刑事責任を問われるなど「悪夢」から抜け出せない超リッチ層も少なくないようです。

中国経済が急成長し、その市場化や国際化が進めば「先富者」は増えますが、格差が拡大するなどの矛盾も生まれます。これは中国の経済社会が成熟しつつある証拠でもあります。

「先富論」には「続き」があります。すなわち、先に豊かになった人はまだ富裕途上にある人を支援し、「共同富裕」の実現に協力せよ、という考えです。

中国では目下、医療改革をはじめとする社会保障の充実化、都市化の推進、新農村建設などの格差是正に向けた政策的支援の強化が推進されています。内外企業による社会貢献やNGOの活動も盛んになっています。そして超リッチ層の中でも、上場企業の会長が自ら所有する株式の70%を社会事業基金に寄付するなど、国や企業、そして個人のレベルで「先富論」の「続き」が広く実践されています。

先富論の国際化

さて、金融危機の最中、世界第三の経済大国となった中国に国際的「先富論」の実践を期待する国・地区は少なくないでしょう。「先富論」の先行きにはまだ解決すべき課題や矛盾が山積しているわけですが、世界の目はむしろ「改革・開放」30年後の中国経済の実績に向いているようです。

先進国水準といわれる沿海地区、預金額で世界ナンバーワンとなった中国工商銀行の実績、リッチ層の高級ブランド嗜好、高い成長率など、「豊かな国・中国」がイメージされているのではないでしょうか。

中国は、和諧社会(調和のとれた社会)と和平崛起(平和的台頭)の実践を公約しています。前者は対内向けで小康社会(いくらかゆとりのある社会)を2020年までに実現するとしていますので、あと10年ほどで「先富論」は一区切りがつくといえます。

「和平崛起」ですが、こちらは対外向きです。中国は過去半年の間、2回の金融サミット、ASEAN関連首脳会議、そして博鳌(ボアオ)アジアフォーラムなどで重要な役割を演じ、「豊かな国・中国」のイメージを大きく高めてきました。

世界に「共同富裕」が実現するとしてもはるか先の話でしょう。「邯鄲の夢」をかなえた「枕」があればよいのですが、その「枕」を主人公の貧しい盧生に貸したのは道士の呂翁です。今日、その道士の役割が和平崛起を目指す中国には期待されているのではないでしょうか。

注1

中国語では「汎」は通常「泛」と書く。「広範な」の意味。

注2

中国がGDPで世界3位となったのが2007年。同年の一人当たりGDPは同107位。ちなみに日本の一人当たりGDPは3万8000ドル。

注3

人民元ベースで、30年間(1978年~2007年)の一人当り純収入を見ると、農村住民では、133.6元から4140.4元、都市住民の一人当たり可処分所得では343.4元から13785.8元となった。

注4

世帯年収1万元を超えたごく一部の農民を形容した当時の流行語。

人民中国インターネット版 2009年8月

 

 

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