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携帯とネットがもたらした庶民レベルの情報革命

 

中国の春節(旧正月)は昔から、親戚や友人の家に年賀に行くのが習わしである。

しかしこの数年、電話や携帯で新年の挨拶を交わす人が急に増えてきた。

今年の春節は、携帯のショートメールによる年賀状が延べ170億通に達した。

かつての中国は「電話のない国」と揶揄されていた。しかしいまは、電話だけでなく携帯、

インターネット、人工衛星などの近代的な通信手段によって速やかに情報が伝達できる国になった。

今年3月末現在、電話は3億5000万台、携帯は6億7000万台に達した。

またネットユーザーは、昨年末で2億9800万人になり、米国を抜いて世界一位に躍り出た。

 

消えていった伝言の習俗

辺境をうたった詩で有名な唐の詩人、岑参は『入京使に逢う』と題してこううたっている。

故園東望路漫漫

雙袖龍鍾涙不乾

馬上相逢無紙筆

憑君傳語報平安

(大意 故郷を東に望めば、道は遥か。老いぼれて、両の袖を濡らす涙は乾かない。都に向かう人に逢ったが、馬上のことで紙も筆もない。『無事でいるよ』と伝えてほしいと頼んだ)

この詩は、半世紀前の私(丘桓興)の故郷を想い起こさせる。当時、広東省蕉嶺県では、村人の通信手段は「伝言」だった。蕉嶺県の県城には多くの店や住宅があり、付近の郷や村の人々が県城にやって来ると、ここにしばらく逗留した。例えば、県城東街の「潤興」という店は、県内各地の「丘」姓の人が逗留することになっていた。

2005年12月、果物の販売に携帯を使っている生産農家の周立朝さん(新華社)
1992年、黒龍江省黒河市の大黒河島では、商売人が当時最新の流行だったポータブル電話「大哥大」を使っていた

県城で市が立つ日には、村人たちは薪や野菜、山の幸を担いできて、それを売った後、「潤興」のような店で一休みしたものだ。店では水を飲ませてもらい、さらに店の主人や番頭に言づてを頼む。「村の誰それからの言づてで、某村の親戚や友人に伝えてほしい」というように。

こうした言づての習俗は、私の故郷では「搭信」と呼ばれていた。情報交換のステーションとなる店は、村人のために一生懸命、情報を伝達するが、お金は取らない。村人たちは野菜や薪を置いていったり、正月や節句には筍やキノコなどの山の幸を送ったりしてお礼をするのであった。

新中国が成立して間もなく、故郷の郷や鎮には郵便電信局が開設され、手紙や小包、電報、郵便為替などの業務を始めた。しかし、多くの村人は読み書きができなかったし、手紙を書く暇もなかったから、「搭信」は依然、盛んだった。

後になると、多くの村の郵便配達員が村人のために、重たい郵便小包を担いで山を越えるだけでなく、手紙や郵便為替を持ち、大小の小包を提げて家々に送り届けるようになった。これは村人たちが仕事を休んで、遠くの郵便電信局に手紙や為替を取りに駆けつけなくてもよいようにするためである。また時には、お年寄りのために手紙を代筆した。

しかしその後は、若い人たちがみな学校に行き、自分で手紙を書けるようになったので、「搭信」は次第に少なくなっていった。数年前、旧県城の都市改造の中で、丘氏の「搭信」だった「潤興」は取り壊された。故郷にいる私の4番目の弟は、家に電話があるだけでなく、いつも携帯を持っていて、外出していても連絡がつく。

 

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