賈樟柯さん(映画監督)  
 

 

『上海伝奇』を通して上海を見る

 

3年もの歳月をかけて準備した『上海伝奇』が2009年5月31日、 上海市内でクランクインした(写真提供・賈樟柯)

上海万博では、清朝(1616~1911年)の末期から現在までの上海百年の歩みを描いたドキュメンタリー映画『上海伝奇』が上映される。この映画のメガホンを取るのは、ベネチア映画祭で金獅子賞に輝いた経歴を持つ賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督。若き巨匠の目に、上海の町はどう映るのだろうか。

――1つの映画で上海の百年の発展を表現するには、膨大な資料と内容に取り組まなくてはなりませんが、これらの内容をどのように関連づけますか

賈樟柯(以下「賈」と略す) これは確かに難しいことです。上海はあまりにも多くの事件を経験しました。大きな歴史的事件が起きるたびに、必ず人口の大移動を引き起こします。たとえば、1937年に抗日戦争が起きると、大勢の人が上海を離れました。1949年に上海が解放されると、一部の人は海外に渡りましたが、北方からこの上海にやってきた人もいました。80年代の「改革・開放」では、多くの上海人が国外に出ましたが、「文化大革命」時期に農村の生産隊に送り込まれていた多くの人が上海に戻ってきました。90年代に浦東が開発され、上海の経済がテイクオフすると、外国に散っていた多くの人がまた戻ってきました。したがって、「人の動き」を手がかりにして映画を構成することにしました。人々の「離合集散」がこの映画のポイントで、町の変遷の大量の情報が含まれていると同時に、その背後には間違いなく人間の感情にうったえかける物語があります。

――この映画では百人以上の取材者リストが吟味されたそうですが、選んだ基準は何でしょうか

賈 上海での重要な歴史的事件の当事者、体験者を主に取材したいと考えました。たとえば、上海市国民政府の最後の市長である趙祖康さんの息子、趙国忠さん。1949年、蒋介石は台湾へ敗退し、彼の父親趙祖康さんを残して共産党と交渉させました。1949年5月27日、上海解放の日に起こったことを趙国忠さんや共産党の将校の話をもとに、初めて1つの映画の中で双方の声を取り入れて語ることができました。あれから何十年も経った今では、共産党と国民党の関係がよい方向に向かっています。

こういう時に、みんなでいっしょに遠い過去の記憶を思い出し、客観的かつ多角的に語り合うことは大いに意義のあることです。これから台北を訪ね、引き続きこのような取材を進めるつもりです。

――取材者に現代の上海の若者もいますか

賈 10月に陸上選手の劉翔さんと若手人気作家の韓寒さんを取材する予定です。彼らは「文」「武」それぞれに長ずる、上海の若者の代表です。ほかにも、上海の若者をその時々にインタビューして、興味ある問題について即興で聞くつもりです。でもこの映画の中心はあくまで歴史回顧においています。というのは上海の歴史の中で残された映像資料は相当ありますが、まだ系統立てて町を描いた都市の映像記録はありませんし、個人の口を通した歴史的な記録もありません。したがって、今回の撮影は2つのものを残すことになります。1つは映画『上海伝奇』であり、もう1つはこの上海という町に関する映像資料のデータベースです。

――この映画には、これまで監督の映画に一貫して描かれてきた一般庶民への眼差しが反映されていないようですが

賈 上海という町はちょっと特別です。開港してからずっと有名人が集まり、その歴史は間違いなく、中国のエリートたちの歴史です。孫中山から蒋介石、周恩来、潘漢年といった、中国の近現代歴史に登場する卓越した人物はみな上海で活躍したことがあります。彼らの生活や歴史抜きに、この映画は成り立ちません。ですから、私も考えを変えて、「大人物」の物語ばかりを記録せざるを得ないのです。これまで、私の映画に「伝奇」というタイトルをつけたことは一度もありませんでしたが、この映画を『上海伝奇』としました。上海という町そのものが、伝奇だからです。

――人物にまつわる物語以外に、どんな内容が入るのでしょうか

賈 私たちは万博会場の中の2つの建築の建設過程を撮影しました。1つは中国館、もう1つは演芸センター。また、外灘でも1組の古い建築物を撮影しました。たとえばキリスト教女子青年会などですが、これらの建築物はそのものに多くの物語があります。ほかにもたくさんの公共スペースを記録しました。たとえば徳大洋食レストラン。ここは多くの上海人が朝起きて顔を合わせておしゃべりするときによく利用する場所で、ローカルな雰囲気に満ちています。また、上海市労働者文化宮は20年前から人々が集まって株について談義する場所になっています。土日になると千人以上もの人が自発的にここに集まり、株を語り、経験を交流する。本当に面白いです。

要するに、映画は人や建築、空間、そして、現在と歴史のすべてが1つに融合する。思い通りに撮影でき、大いに収穫がありました。

――撮影前に1ヵ月をかけて上海を歩いたと聞きましたが、上海にどんな印象をお持ちですか

賈 以前は上海をよく知っていると自分では思っていました。この町の空間も歴史も。しかし、実際に撮影を始めてみて初めて、この町について不案内であることに気づきました。最初はいつもどおり、まずは車で町の景色を見て回りましたが、2日後、無駄だと気づきました。というのは上海の町はとくに密度が高く、建築物のなかにも建築があり、どのエリアにも物語があり、秘密がある。結局、もっとも原始的な方法――徒歩を思いつきました。歩いて回ると、この町に秘められた多くの興味の尽きない細かなことに目が行くようになりました。上海のどのエリアにも個性があり、さらにどのビル、どの横町にもそれぞれ自分の物語があります。

――上海と北京、この2つの代表的な都市について、どうごらんになりますか

賈 毎日比べて考えていると言ってもいいぐらいです。上海は理性的な精神のある町だと思います。この町の良し悪しは、すべて理性と関係があります。たとえば、上海人と付き合うと分かりますが、彼らはとても注意深く、どんなことにも必ず条件がついています。できるかどうか、どの程度までできるか、すべてに融通がきかなくて、決まりにこだわります。北京は違います。友情や義理などを重んじ、制度や規則以外にも事情に応じた融通のきく多くの余地があります。こうして比べれば、上海の欠点は融通がきかないこと、長所は約束したことは絶対に守るということです。契約を結ぶような確かさがあります。これは昔から栄えていた商業活動、とくに国際的な商業活動と密接な関わりがあります。内陸の都市とは比べようがありません。

 

人民中国インターネット版 2009年10月23日

 

 

 

 
 
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