序章 吐蕃王国のチベット統一
 

 

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 ソンツェンガンポ坐像(ざぞう)

 銅造鍍金・彩色
 チベット・14世紀
 総高46.5cm
 ポタラ宮

 ソンツェンガンポは、チベットを最初に統一に導いた王であり、ネパールと唐から妃を迎えたことから、インド仏教と中国仏教がチベットにもたらされるようになった。

 大きな座布団に坐り、連珠文で囲まれた龍文が繰り返される大きな襟の折り返し付きで広袖の長衣をまとい、帯をきつく締めている。ターバンを巻き付けた様な頭部飾上面には阿弥陀如来の頭部が表現されており、ソンツェンガンポ王が、阿弥陀の化身である観音菩薩の生まれ変わりであることを示している。

 ソンツェンガンポ像の多くは、塑造(そぞう)で、二人の妃と大臣を伴って表現され、なかでもポタラ宮やジョカンの例がよく知られている。この像のような金属製の像は珍しい。

 

 
 ガルトンツェン立像(ガルトンツェンりゅうぞう)

 銅造鍍金・彩色
 チベット・14世紀
 総高29.5cm
 ポタラ宮

長い髪を両肩に垂たし、口鬚顎鬚を蓄えたガルトンツェンは、長靴を履き、足首まである長い着物を身にまとい、腹前の両手を長袖の中で拱手し、正面を見つめている。唐草文つきのターバンを巻きつけた頭部、耳飾と面部などには金泥とともに彩色が施され、襟、肩、袖口や裾の文様は鏨で線刻されているが、刺繍か錦を模倣したものと思われる。長衣は裾広がりとなっており、打ち合わせは右前で、漢民族のやり方とは逆(左衽)である。

ガルトンツェンは、ソンツェンガンポ王の大臣で、640年に唐の皇帝太宗(在位627~649)に謁見して公主の嫁入りについて協議し、翌641年には長安を再訪し文成公主を伴ってラサに帰国した。北京故宮博物院が所蔵する、ガルトンツェンが太宗に拝謁する場面を描く閻立本筆「歩輦図」には、本像が着ているものと良く似た着物が描かれている。646年には太宗の高句麗遠征成功の祝宴にも出席し、667年のアムド地方への討伐遠征で落命した。当時、チベットはシルクロードの一大勢力で、チベットが唐に要求した公主の嫁入りを受け入れざるを得なかったものと思われる。公主がチベットにもたらした仏像の中には、釈迦牟尼の肖像そのものと信じられていた仏像があり、その仏像が安置されているチョカン寺はもっとも重要な巡礼の目的地の一つとなった。

 

 魔女仰臥図(まじょぎょうがず)

 
 紙本著色
 チベット・20世紀
 77.5×152.5cm
 ノルブリンカ

 
  チベット高原には羅刹女(一種の魔女)が横たわり、災いを起こすという伝承がある。

 ソンツェンガンポ王は唐から迎えた妃・文成公主の占いに従い、羅刹女の手・足・肩・肘・膝・臀部にあたる12ヵ所を抑える釘として寺院を建て、心臓にあたる湖を埋め立ててチョカン寺(大昭寺)とラモチェ寺(小昭寺)を建立した。

 本作品はこの吐蕃開国伝説を描いた図版で、羅刹女は頭を東に仰臥し、中央がチョカン寺である。釘としての寺院以外にも大小の寺院が描かれている。チベットへの本格的な仏教伝来はティソンデツェン王の時代で、全土への寺院建立は伝説の域にとどまるが、仏教以前の土着信仰を象徴した羅刹女の上に仏教寺院を建立する話は、吐蕃王国の宗教的、内政的な国家形成を象徴するものと考えられる。

 

 

 

 
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