周河の切り紙芸術

文・写真=力強

周河ご夫婦
周河さんは中国の切り絵の郷である河北省蔚県南張荘の、先祖代々の切り絵の作り手である。南張荘は、中国北部の古村であり、200年余り前に人々はすでに切り絵を始めていた。現在、村の多くの人々は切り絵が出来、「中国の切り紙第一の村」と称えられている。

周河さんの父親は、河北省蔚県の切り紙芸術の創始者である王老賞さんと同時代の人であり、彼らは一つの敷地のなかに住み、ともに切り紙を好み、お互いに交流し、絶え間なく切り紙芸術のレベルを向上させた。先達の影響により、周河さんは、小さいころから小刀を持ち、大人たちの切り紙作品を手本に切り紙を学び、民間芸術に対して強い興味を抱いていた。1972年、周河さんは、高校を卒業し、南張荘に戻り、彼の切り紙を追求する生涯がスタートした。先達たちの伝統を継承し、さらに切り紙芸術に新しい創造をもたらすことを心の内に決めていた。

先達の基礎のもと、周河は、300種類余りの内容、形式が異なる切り紙の新しい種類を設計した。またこれらの切り紙は、早くから中国を出て、国際市場に向かい、外国人たちは、好んでこの中国の民間芸術品を購入し、コレクションした。周河さん本人は、蔚県の切り紙芸術を新聞、雑誌、テレビなどに発表した。1998年、河北省は、周河さんに切り紙芸術家の称号をおくり、賞状と証明書を贈った。

周河さんの切り紙の題材は、非常に広範であり、神話、伝説から、故事のなかの人物、劇中人物、また蝶、孔雀、丹頂鶴、鴛鴦など花鳥、魚虫から12支などである。特に彼の人物の切り紙には、非常に特色がある。彼が切り抜く手法で作る切り絵の人物の、眉、眼、口、鼻、ひげ、大臣の切るうわばみの模様が刺繍された礼服、帽子の飾り、衣服の襟、スカートのベルトなどが見る人に、強烈な立体感と動感を与える。彼が切り抜く京劇の役者たちの隈取の切り紙は、人物の髪とひげが、長くまた細く、もし技術が備わっていなければ、1刀をミスしただけで、それまでのすべてを台無しにしてしまうものである。

技術の上で限りがあるために、蔚県の切り紙は、窓に貼る飾りに使われ、その幅は広くなかった。周河さんは、先輩たちの伝統を引き継ぐと同時に、関係する芸術の粋を特別に注視して吸収し、書道、絵画、表装などの多くの芸術家を訪問し、多くの技術を把握し、切り紙のうえで多くの実験をし、20あまりの新商品を生み出し、切り紙芸術に新しい発展をもたらした。

まず、周河さんは切り紙は、大きくし、1枚の宣紙の大きさで、岳飛、花木蘭、トラ、花などを切り、それはとても堂々たるものである。半分にひらいた、あるいは四つ折りした切り紙を一般の絵にかえてカレンダーの上におき、切り紙カレンダーを作った。これは蔚県が最初の創作者であり、現在では、毎年、少なくない版の切り紙カレンダーがあり、人々の贈答品、収蔵品になっている。染めた切り紙は、色があせやすいが、周河さんは、絵画と表装をその道の大家に学び、染めに使う色を退色しないようにしただけでなく、それを表装し、軸として部屋にかけるようにし、切り紙の用途をさらに豊かなものにした。こうして切り紙は、より多くの家庭にはいっていくようになった。

周河さんは、最近、長さ5メートル、高さ1.6メートルの「巨龍図」の切り紙作品を創作し、それは切り紙のなかの切り紙、と呼ぶのにふさわしいものである。この「巨龍図」は、横幅の切り紙で、主な図案は、9匹ののたうち、飛び回る龍である。その周囲には、18の小さな図案があしらわれ、中国の名所と建築を現している。9匹の龍は、「九九帰一」から意味がとられ、それは、1997年の香港返還、99年の建国50周年とマカオ返還の日々、そして2000年、ミレニアムであり、また中国の辰年である。北京人民大会堂は周河さんのこの「巨龍図」を収蔵している。

周河切り紙芸術館

芸術にはとどまるところがなく、周河さんは設計デザイン図案を豊かにするだけでなく、絶え間なく新しい創造を行い、切り紙を複数の層にしたり、金のへりをつけたりて、作品に立体感と美感をもたらしているが、当然のことながら制作の難しさは増している。

今年、寅年のために切り抜いた「トラの咆哮」には2種類があり、そのうち1種類は金のへりがつき、雄雄しさ厳しさのなかに華やかさを沿え、切り紙のなかの逸品と称えられる。

 

 

 
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