大きく向上した人々の暮らし

西部大開発の戦略が実施されてから、中国政府は資金と政策の面で、西部地区に対する傾斜的な優遇に力をいれた。その結果、科学技術、教育、社会保障、医療衛生などの面で、人々の生活は目に見えて変化した。

農機具に対する補助政策によって、農牧民は積極的に農業機械を使うようになり、西部地区の農機具の普及と機械化のレベルが高まった(新華社)

2008年、中央財政が西部地区の12の省、直轄市、自治区に対し投下した衛生関係の専用の経費は、全部で242億3000万元。2009年9月までに、西部地区のすべての農業県(一部の市、区を含む)で、新型の農村合作医療制度が樹立され、この制度で受益した農民は2億6000万人に達した。

教育の面では、この十年間に西部地区で累計で1400万以上の文盲が字をおぼえ、高校やそれ以上の教育課程を卒業した人は3275万人にのぼる。

医者が家まで来てくれる

午後一時過ぎ、四川省成都市武侯区の玉林社区(コミュニティー)の衛生サービスセンターの医師である王梅さんは、74歳の石筱玉さんの家まで往診した。王医師は石さんの血圧を測り、「近ごろ、身体の調子はどうですか」と尋ねた。王医師が石さんを診るようになってからもう4年になる。

石さんは高血圧を患って30年以上になるが、かつては診察を受けるのがとても辛かった。「病院の中は病人でいっぱいで、診てもらうのに半日も待たなければなりませんでした。症状が重くなければ、家で薬を飲んで我慢していました」と石さんは言った。

こうした状態が長く続いたが、2006年になって彼女は自分の住んでいる玉林社区が行っている社区医療が便利だと聞いて、一度試してみようと社区の衛生サービスセンターの門をくぐった。それ以来、石さんはここに来て診てもらうことにした。「センターは遠くないので、歩いて二十分で着く。診てもらうのに長くても30分しかかかりません。ここのお医者さんは、腕が良いだけでなく、我慢強く私に病状を説明してくれます。薬もとても安いのです」と石さんは言う。

衛生サービスセンターは、石さんの病状を記録にまとめ、社区の医者が定期的に彼女の家に往診している。もし、病気が突発したら、センターに電話をかければ、24時間受け付けて、治療をしてくれる。王医師は石さんの住む小区(住宅区)を担当しているが、毎週、時間を割いては自分の受け持ちの病人の家に行き、健康診断をする。

さらに社区の住民に喜ばれているのは、センターが小区で健康教育講座を開いてくれることだ。石さんもこの講座で身体の保健について多くの知識を学んだ。王医師のような社区担当の医者はセンターに数人いて、それぞれの小区を分担している。玉林社区のセンターが受けもっている住民は全部で10万人を超す。

新しく建てられた成都市武侯区の玉林社区の衛生サービスセンター。社区の住民は病気を診てもらうのが大変便利になった(写真・劉世昭)

2000年に中国政府は「都市には社区医療を打ち立て、農村には新型合作医療制度を展開する」ことを提起し、都市と農村の住民が「病気をなかなか診てもらえない」「診察料が高すぎる」という問題を解決しようとした。この年、成都市は、外国の完成したコミュニティー医療のサービスの経験を導入し、中国が建設する社区医療の試験都市となった。こうして玉林社区の衛生サービスセンターは正式に設立されたのである。

この十年、センターは、最初は来る人が少なく、人々の信頼度も低かったが、次第に発展し、昨年ここで診療を受けた人は延べ119万2000人に達し、センターの各項目のサービスに対する社区住民の満足度は96%まで上昇した。

ここでは、住民は病気の予防や治療、保健、健康教育、リハビリテーション、計画出産の技術指導などのサービスを受けられるばかりではない。病気になってから病院に行って診てもらうという過去の方式を改め、医者が進んで住民の健康記録に基づいて病人を回診するという患者に便利なやり方を追求している。

2007年からは、センターは「薬品では利益をあげない」という措置を実行した。薬価が下がったので、人々が薬品を買う費用は昔に比べ20%安くなった。60歳以上のお年寄りに対しては、診察の受付け費と診療費を免除した。現在、玉林社区は「全国社区衛生サービス模範区」となった。

2010年1月29日、建築面積1675平米の新しいセンターが正式に開業した。そこにはカラーの超音波診断器などの先進的な設備が新たに備えられている。これを見て石さんは嬉しそうにこう言った。「家族にもここへ来て病気を診てもらうように勧めるばかりでなく、社区の人たちにもここを知ってもらうように、いつも宣伝します」

子どもが学校に行けるように

2010年の春節(旧正月)の前夜、17歳の馮永蕾君は学校から成都市新都区軍屯鎮にある家に帰り、冬休みを過ごした。出稼ぎに行っている父の馮祖倫さんも急いで家に帰ってきた。一家はうきうきと新年を迎える準備をした。

家でいとこたちと遊ぶ馮永蕾君(写真・劉世昭)

父の祖倫さんは、計算をしながらこう言った。「子どもが職業高校に通うようになってから、家庭の負担は少なくなりました。現在、国は毎年、生活費と学費に対し2500元の補助をくれます。こうなってからは、子どもの一学年の費用は2500元で済むようになりました。我が家の年間収入は一万元なので、負担に耐えることができます」

馮君は新都職業技術学校の数値制御技術専攻の高校二年生だ。職業高校の勉強と暮らしに彼は満足している。「先生方は私たちのことを非常に気にかけてくれ、勉強の面で、もしわからないところがあれば、私がわかったと言うまで教えてくれます。宿題をすぐに添削するため、先生は食事の時間も使うのです」と馮君は言う。

馮君はいつもは学校内の宿舎に住んでいる。宿舎の部屋は八人の生徒が住み、独立したトイレがある。先生たちはいつも生徒たちにどのように掃除や部屋の片付けをするかを教え、家事や生活能力を鍛えている。生徒が病気になると、先生たちが薬を買いに行く。

最近、馮君が楽しみにしているのは、毎週開かれる「班会課」と呼ばれる授業だ。この授業では先生が物語を話して聞かせ、生徒たちに、人としての処世の道を説く。さらに生徒たちといっしょにゲームをし、みんなの団体精神を養うのだ。  1990年、新都職業技術学校の校長に刁瑞生さんが就任した。当時、この学校の設備は貧弱で、教学の経費は足りなかった。刁校長はあちこち奔走して教育への支援を呼びかけ、社会から資金を集めて学校に注ぎ込んだ。多くの壁にぶつかったが、ついにあるメーカーが刁校長の誠心に感動し、この職業高校を援助するために出資することに同意し、さらに旋盤一台を寄贈した。これで生徒たちは、学んだ機械加工の知識を旋盤の上で実践することができるようになった。

そして次第に、刁校長に導かれて新都職業技術学校は「前校後廠(学校に工場が併設されている)」のモデルとなった。それは生徒たちが実用技術を応用し、マスターするのに役立った。

西部の農畜産物の加工産業は、先進技術を導入し、付加価値の高い加工業となり、西部地区の人々に多くの就業のチャンスをつくりだしただけでなく、収入も増加させた(新華社)

中国政府が西部地区の教育事業に対する資本投下を増やすのにともない、四川省ではいま、78の高等教育機関に99万1000人の大学生が学んでいる。10年前に比べ、高等教育機関は35、大学生は81万1000人増加した。  成都市新都区の教育も同様に大きな発展を遂げた。2000年には、九年制の義務教育制が普及した。2003年には、都市と農村の児童、生徒の教科書代が免除された。2007年から2009年までに、政府は2億元を投下して小中学校を建設し、同時に8000万元で学校に近代的な教学設備を設置した。新都区の教育の質は、四川省でも上位にランクされている。

これから新都区の教育はどうなっていくのか。いまや新都区の教育局長になった刁瑞生さんは「新都区のすべての子どもが学校に行け、学ぶことができるようにし、彼らの全面的な発展を促進しなければならない」と述べた。  現在、新都職業技術学校はすでに十以上の専攻科目を開設し、在校生は6000人以上に達している。ここで学ぶ多くの生徒は、卒業前に、人を採用したいという各地の企業や団体から「予約」されている。あと一年で、馮君も卒業するが、自分の将来を考えて、彼は、学んだ技術を生かして仕事を探し、その後、大学に進学して引き続き高度な学問や技術を身につけたいと考えている。

 

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