同形異義語について

三江学院 呉夢霞

「お客様、どちらまでですか。」初めて日本に行った中国人の記者がタクシーに乗ってそう聞かれた。日本という国の風土とか、特有の風習についての考察をせよという課題を新聞社から与えられた記者は言葉が通じないため、自分の鞄からノートを出し、「风俗」という中国の文字を書き、指差して見せたら、運転手は変な顔をしたが、車を出していた。しばらくして、「歌舞伎一番街」という所まで連れて行かれた記者はそこを見学してみたら、ずいぶん驚いた。

「日本って、こんな国なのか。」と信じられないのであった。

この話は前に読んだ雑誌に載っていた記事である。考えてみれば、中国も日本も漢字を使っているので、日本語を習ったことのない中国人に日本語の新聞を読ませても、その中に出てきた漢字だけを読んで意味を考えても、大体分かる。漢字が日本に伝わった後、発展し、日本民族の特色と溶け合って変わったとはいえ、同じ形に同じ意味のまま残された漢字も数え切れないほどあり、だから漢字だけでも意志が伝えられる場合も多いわけだ。

では、なぜ運転手は勘違いしたのだろうか、やはり問題はその漢字だ。中国語の「风俗」は「風習」だけの意味だが、日本人ならば、そう理解はしないと思う。同じ漢字だが、違う国では意味も違うということだ。今まで日本語を勉強してきた道を振り返って見ると、そういう漢字は確かに多い。一年生の時に習った単語「勉強」は、中国人としての私は当たり前のようにそれを「無理をする」と誤解し、説明を聞いて初めて間違いをしたことが分かった。その時は只おもしろく思っただけだが、こういう文化の差異に関心を持つきっかけとなったのは正にその記事を読んでからなのである。「この中国人はまともな人間ではない」、「日本って、こんな国なのか」というようなきつい誤解を減らそうとしており、同じ形で全く違う意味を持つ漢字を集めてみた。

例えば、「検討」は調べたずねることだが、中国語の場合誤りを反省するということになる。「暗算」は頭の中で計算することを示すが、中国人なら、ひそかに陰謀をめぐらすと理解する。中国語の「大家」は日本語の「皆」に当たる。「改行」という日本語は転職する意味ではなく、文章の行を変えることだ。保存しておくことを表す日本語「温存」は中国語で暖かい意味などを表し、文学作品で用いられる言葉だ。「服役」を見たら、中国人はそれが刑務所に入るという意味を含むとは思いも寄らないだろう。「女将」という漢字も面白い。お店のおかみさんの意味を表しているこの日本語の漢字は中国語で説明すれば、女性の将軍や有能な婦人という感じを与え、さらに想像すると、おそらく「楊家将」に出てくる「穆桂英」のことさえ浮かぶだろう。

中国にはこういう言葉がある。「橘逾淮成枳」、つまり、中国の南部で育っている蜜柑の木が北部に移して植えたら、蜜柑の実のかわりに、枳という実を結ぶ.漢字はこういうような質的変化を経験し、正しいようで、実は誤りだという現象を起こすとは、日本語を勉強している中国人、或いは中国語を勉強している日本人にとっては、厄介な問題になっている。簡単に同形異義語と言ってもよいだろう。この現象は中日の間が近いけど近くないということの典型的な反映かもしれない。母国語で理解する傾向を避けようとしても、つい外れてしまい、笑われたりし、嫌な気持ちになる人もいる。「『日本人の知らない日本語』」の中の娘が「漢字、中国の物、日本人勝手に変えて、ずるい」とまで言う。確かに嫌な思いをさせたりするのは誰も望まない。

私はこの文化の差異が面倒くさい、嫌だとは思わない。二つの文化がぶつかった時、何が起こるか、それは楽しみだ。そういう漢字の差異もその一つとなれるのではないか。一国の文化はその持ち主にとって宝物なのだから、文化の視点からこの差異を認め、味わい、楽しみ、そして尊重したほうがいいのではないか。中日両国は千年にわたって各分野において往来してきた。言葉が使者の務めを果たし、活躍していればこそ、交流が成り立つのだ。同形異義語にあったら、母国語からのじゃまを取り除き、考え方を変え、同形で、しかし異なってる意味を持つ漢字の表現や使い方をしっかり覚えておき、場面によって正しく活かせば、誤解も減り、両国の文化交流にきっと役立つはずだ。

筆を止め、見上げた星の光に彩られた夜空。冬の足音が聞こえる、秋の夜、ここは暖かい。

 

 

 
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