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映画とあゆんだ青島の歴史

 

青島は120年の歴史しか持たないが、緑に恵まれ、赤レンガの建物や青い空と海がある美しい都市だ。これに、新しいビルとヨーロッパ風の街並みが溶け合い、独特の魅力を発散している。そして、無数の映画人がこの景色に魅せられ、をカメラに収めてきた。

青島の映画に関する歴史を研究してきた文学と歴史の専門家である魯海氏によれば、映画が舶来の芸術として中国に伝わったのは1905年のことだが、この時代にすでに青島は、映画の魅力の証人となっていたのだ。

映画『嵐の中の若者たち』のスチール
1898年、清朝政府がドイツと「膠澳租借条約」を結び、青島がドイツの植民地となったその年の冬に、ドイツの映画撮影師が訪れ、青島の自然・景色、人々の生活を撮影していった。これは中国における最も早い時期に撮影された記録映画の1つである。ドイツ人の撮影ではあるが、内容はすべて青島に関するシーンであり、この年中国にはまだ映画はなく、世界でも映画が発明されてからわずか3年しかたっていなかった。

1899年、ドイツ皇帝の命を受け、膠澳租借地は「青島」と呼ばれるようになった。この年、青島の海岸に大型のホテル「プリンツ・ハインリヒ」が開業し、ここに音楽ホールが設置された。記載によると、1900年にはこのホールで映画が上映されており、これは中国でも最も早い時期の上映だった。

そして、膠澳当局は湖北路に水兵クラブを建設したが、この中央部分に2階建ての劇場を設置し、ダンスホールとして使った。現存する1907年の新聞には、水兵クラブで上映される映画の広告が掲載されている。それによると、毎晩7時の上映で、前売りはメキシコ銀貨25センタボ、当日券30センタボで、上映されたのは記録映画だ。連日有料で上映していることが明らかで、これは、中国で最も早い「映画館」の1つとも言えるものだ。

青島は現代の歴史都市であり、美しい自然、ヨーロッパ風の建築を持つことから、中国映画が誕生して以来、中国でも最も素晴らしいロケ地の1つとして多くの作品に登場してきた。最も初期の中国映画の中にも、『嵐の中の若者たち』(原題・風雲児女)、『孤島の二人』(原題・浪淘沙)など青島で撮影されたものが少なくない。映画詩人・孫瑜、映画皇帝・金焔などの監督たちが青島に足跡を残しているが、中でも『嵐の中の若者たち』は、主題歌『義勇軍行進曲』が現在の中国の国家になっていることで知られる。つまり、青島はこの国歌とも深い縁があるわけだ。

21世紀に入り、毎年100部を超える映画やドラマが青島で撮影されている。中国中央テレビ局・映画チャンネルの統計によれば、毎年中国大陸部で制作される映画・テレビの3分の1近くが青島でロケされているという。近年でもフォン・シャオガン監督、グォ・ヨウ主演の『手機』(日本未公開)、カリーナ・ラム主演の『恋の風景』(原題・恋之風景)、ジェット・リー主演の『海洋天堂』(日本未公開)など、多くの作品が青島で撮影された。

世界の有名な音楽家の彫刻で知られる青島音楽広場も、人気ドラマの撮影スポットだ 

また、青島の出身、祖籍が青島、もしくは青島に暮らしたことがあるという映画人は非常に多い。毛沢東役で知られる唐国強、「万人迷」のニックネームを持つ美人女優の陳好、昨年の東京国際映画祭で最優秀女優に輝いた范冰冰、『太陽の少年』で知られる夏雨、若手二枚目俳優の黄暁明、台湾地区の大女優ブリジット・リンなど、数え上げればきりがないほどだ。

このように、映画・テレビは、青島の歴史・文化に特殊な魅力を添えているといえるだろう。(文=劉延青 写真=王忠剛)

 

人民中国インターネット版 2011年5月3日

 
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