冷静な対応に感心 成田空港で大地震に遭遇

 

中国国務院新聞弁公室二局副局長 丁小鳴

大部分の中国人はテレビを通じて三月十一日の東日本大地震を見た。しかし、中国国務院新聞弁公室の丁小鳴副局長は当時、日本出張中、成田空港で「一生忘れられない」ことを体験した。

 

私は三月九日、東京に到着、翌日の会議を済ませ、十一日十五時十五分成田発の便で、二人の同僚とともに北京に帰る予定だった。成田空港第一旅客ターミナルビルの出発ロビーに入ると、搭乗予定の便が遅れていることが分かった。そこで、二人の女性の同僚は免税店で買い物をすることにし、私は一階の搭乗口59Bで待っていた。くつろいでいると、突然、大地が揺れ始めた。

続いて、遠くから「どーん、どーん」という轟音が聞こえ、近づいてきた。立っていることもできない。大きなガラス窓の向こうに駐機場が見えた。私は何が起きたのか知りたいと思い、目を向けたが、ガラス窓がビリビリと音を立てて震え、何が起きているのかはっきり見えなかった。とっさに地震だ、それも大きい、と感じた。

同時に、多数の旅客がガラス張りのドアの方に集まり、外へ出ようとしていた。私はテレビで直ちに地震情報を流すことを知っていたので、テレビに近づこうとした。すると、空港職員が飛んできて、「ガラスから離れてください。テレビに近づかないでください」と、大声で叫んだ。多くの旅客がてきぱきと椅子の下に身を伏せ、私も二列の座席の隙間に潜り込んだ。私は仕事の関係で、数十回も日本に行ったことがあり、地震にも遭ったが、これほど激しく揺れ、すさまじい音までが聞こえたことは一度もない。震度六以上だと直感した。

一分半後くらいだろうか、揺れがやっと収まり、これですべてが正常に戻ったと思った。二人の女性同僚のことを思い出し、捜しに行った。途中、免税店の商品が地面に散乱し、壁紙が広い範囲でばさっと剥げ落ちていた。幸い、同僚二人も無事だった。私たちは地震はもう終わった、大丈夫だと思って、二人は再び買い物に出かけた。その時、私は空港職員たちの気持ちは違うことに気がついた。持ち場に戻らず、集合し始めたからだ。果たして、間もなく第二波が襲ってきた。私たちは再び椅子の下に伏せた。前よりも激しい。「地震はいつ終わるのか。こんなに激しく揺れて、これほど頑丈な建物も倒れてしまうのだろうか」と不安だった。さらに二分間揺れ続いた。長い長い二分間だった。

椅子の下からはい出すと、空港職員は乗客を数グループに分けて、外の駐機場に誘導した。彼らも同様に空港ビルから離れて、乗客が危険なところへ行くことを防ぐために、乗客を囲んで座った。北京に修学旅行に出発する百人余の日本人高校生も秩序よく静かに座って待っていた。慌てた様子はまるで見えない。空港ビルは低いが、平面に広がっているため、被害状況がよくわからない。その時、震度がどの程度か知りたかった。また、大災害に日本がどう対処するのか大いに関心があった。

三十分ほどたったころ、空港の責任者が乗客に情況を説明し、掌握している情報を知らせた。また、専門の係員が乗客の質問に答え、また、空港職員は乗客一人ひとりにけがをしているかどうか尋ねて回った。こうした配慮によって、乗客は落ち着きを取り戻した。次第に日が暮れ、少し寒くなってきた。頭上には黒い雲が広がっていた。午後六時ごろ、アナウンスがあり、出発ロビーに戻ると、空港職員が順番に食べ物と飲料水を配った。すべて女性、子どもが優先で、秩序よく進められた。

夜九時過ぎ、やっと北京行きの飛行機に搭乗できた。北京の自宅に着いたのは翌日の午前二時を過ぎていたが、眠気は全くなく、すぐテレビをつけて、今回の大災害の全貌を知った。災害に遭遇した時の、日本人の冷静、沈着な態度を今でも忘れられない。私は日本国民がこの災難をいち早く克服し、美しい故郷を再建することを信じて疑わない。(構成・王征 写真・王衆一)

 

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