新しい経済発展モデルを模索

 

新経済モデルを創出

2001年、中国は世界貿易機関(WTO)に加入した。2008年、世界が金融危機に見舞われると、多くの先進国が甚大な損失をこうむり、世界の経済が衰退するなかで、中国経済は依然として成長を保持し、のみならず世界経済の回復を力強く推進した。

1978年にはわずか1億7600万ドルだった中国の外貨準備高は、2009年には2兆ドルを上回り、世界一の外貨準備高大国になった。2010年、中国の財政収入は1978年の40倍以上にあたる8兆元以上になり、世界第2の財政収入大国になった。同年、中国は5兆8000億ドルの国内総生産(GDP)を達成し、世界第2の経済大国になった。

国際社会から注目されるこうしたいわゆる「中国の奇跡」が21世紀の最初の10年間に達成されたのは、新中国の成立以来、中国共産党が60年余の不断の模索を続けた結果であり、特に「改革開放」後の30余年間に思想を解放し、大胆に実践を行った結果だ。

経済の発展により、中国の総合的国力は大きく強化された。強大な国力のバックアップの下、中国は2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博をともに成功裏に開催し、活気にあふれたその姿を世界中に明らかにした。また、この強大な国力の保障があったからこそ、中国の農村では2億3000万人近くが貧困から脱出することができたのだ。

1977年に鄧小平氏は「わが国はあまりにも貧しく、あまりにも立ち遅れている。率直に言って人民大衆に申し訳ない」と語っている。その30余年後に、中国の一人当たりGDPは1978年の127ドルから2010年の4500ドルにまで増加した。衣食の問題を解決しただけでなく、沿海地域や大中都市では、ゆとりのある生活を楽しむ国民も少なくない。こうした大きな変化は、鄧小平氏ですら予期していなかったことかもしれない。

2007年、国連と世界銀行は、過去25年間に人類が勝ち取った貧困脱出事業の成果の3分の2は中国に帰するべきであると表明した。袁鋼明東京大学社会科学研究所客員教授は次のように語っている。「私が初めて日本を訪問した時には、中国の経済力は日本の10分の1しかなかった。学者たちの討論のテーマも日本経済のことばかりだった。それが中国経済の発展にともなって、中国経済を研究する日本人の同僚学者も年を追って多くなってきた。学者としてたいへん誇りに感じます」

こうした多くの具体的な事実の背後を貫くのが中国共産党の執政理念だ。2002年11月、江沢民総書記(当時)は中国共産党第16回全国代表大会の席上、次のように述べた。経済建設を重点とする方針を堅持し、社会の生産力を絶えず解放し発展させ、社会主義市場経済体制をより完全なものにし、経済全体と総合的な国力並びに人々の生活水準を新たな高みに引き上げなければならない。

また、2007年10月、中国共産党第17回全国代表大会の席上、胡錦濤総書記は次のように強調した。経済発展のモデルチェンジを速め、社会主義市場経済体制をより完全なものにし、自主的なイノベーション能力を向上させ、環境保護と省エネの水準を引き上げ、経済全体の質と国際競争力を高めて、科学的発展に有利なマクロコントロールの仕組みを形成しなければならない。

米国『タイム』誌の元シニア記者で現在はゴールドマンサックス社の顧問を務めるジョシュア・クーパー・ラモ氏は「中国は市場経済と社会主義経済の融合体だ」と述べている。これは彼なりの中国経済モデルに対する認識かもしれない。世界経済の中で、中国経済が切り開いた独自の道は、まさに中国共産党が「人民に奉仕する」との理念で終始一貫し、中国の実情に基づき、また科学的発展を模索しながら実現した結果であると言える。「マクロコントロール、市場による誘導、科学への依拠、持続可能な発展」が、中国の特色ある社会主義市場経済の特徴とも言えよう。

2009年10月1日、新中国成立60周年を祝う祝典において、胡錦濤国家主席は北京の天安門楼上から、世界に向けて次のように宣言した。

 

人民中国インターネット版 2011年7月

 

 

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