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中国独自の社会主義建設の道を模索

中国全国の都市や農村で展開された鉄鋼生産に取り組む運動。

1956年2月に開かれたソ連共産党第20回全国代表大会の席上、スターリンの重大な誤りと、スターリンに対する個人崇拝の深刻な結果が摘発され、社会主義陣営に極めて大きな衝撃を与えた。毛沢東は「我々がソ連共産党第20回大会から学んだ最も重要なことは、独立して思考し、各方面からいかに中国の情況に照らしてものごとを行うかを考え、中国の社会主義建設の具体的な道路を探し出すよう努力すべきであるということだ」と述べた。

自らの道を探す過程で、中国には「大躍進」運動が起こった。「大躍進」運動は1958年に全面的に展開された。この年の5月に中国共産党第8期全国大会第2回会議で正式に「大いに意気込み、常に高い目標をめざし、多く、速く、立派に、無駄なく社会主義を建設する」という総路線が提起された。それが成功を急ぐ思想の指導のもとに制定されたため、一面的に経済建設の発展速度が強調され、主観的意志が誇張され、経済建設に必要な客観的法則が軽視されてしまった。

「大躍進」では、工業分野においては、まず鉄鋼生産目標が絶えず高められた。農業分野では、農作物生産量見通しが深刻に誇張された。1958年8月、中央政治局は北戴河で拡大会議を開催し、正式にこの年の鉄鋼生産量目標を前年の2倍と決定した。残す4カ月の間に目標を達成するため、全国の都市や農村で人々が鉄鋼生産に取り組む運動が展開された。「大躍進」は中国共産党が自らの社会主義建設を模索する過程で犯した重大なあやまりだった。

1961年1月、中国共産党第8期中央委員会第9回全体会議で国民経済に対して「調整、強化、充実、向上」の実行方針が採択された。これは、3年にわたって深刻な結果を引き起こした「大躍進」運動が実質的に停止されたことを意味した。国民経済は、調整の新たな軌道に入り始めた。

1962年1月11日から2月7日まで、党中央は北京で拡大会議(7000人大会)を開いた。劉少奇が中央を代表し報告文書の草稿を提出、「大躍進」以来の経済建設活動の基本的な経験、教訓について、わりあい系統的に、初歩的な総括を行った。

毛沢東は1月30日に大会での講演を行った。その中心は民主集中制についてだったが、合わせて自己批判を行った。毛沢東は3年の「大躍進」の教訓に関連し、強大な社会主義中国を建設するには、百年以上の時間が必要だと認めた。(『中国共産党簡史』(中国共産党党史出版社)に基づく 構成=王 征 翻訳=井上 俊彦)

 

人民中国インターネット版 2011年8月

 

 
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