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「文化大革命」10年の内乱

文化大革命時代の「紅衛兵」ら

1966年から始まった10年に及ぶ「文化大革命」は中国に大きな災難をもたらした。毛沢東が発動したこの「大革命」の出発点は、資本主義の復活を防ぎ、党の純潔性を守り、中国独自の社会主義建設の道をさぐりあてることにあった。

「文化大革命」は江青が秘密裏に画策し、1965年11月10日、上海の『文匯報』に「新編歴史劇『海瑞の免官』を評す」という文章を発表させて当時の北京副市長を批判したことから始まり、その後、批判の及ぶ範囲は急速に拡大した。1966年5月に陳伯達を組長とし、江青らを副組長とする「中央革命小組」が成立し、「文化大革命」はものすごい勢いで展開し始めた。

「文化大革命」はまず、大学、高校、中学で巻き起こり、非常に短い時間に学生が設立した「紅衛兵」組織がいっせいに押し寄せ、学校の指導者や教員をつかまえ批判闘争を行い、一部の党や政府機関も攻撃を受けた。この運動はすぐに党内から社会に広がり、社会動乱となっていった。

1966年8月、中国共産党第8期中央委員会第11回全体会議後、紅衛兵運動はすさまじい勢いで発展した。紅衛兵運動は「四旧」(旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣)の打破に始まり、やがて家財の没収や個人攻撃、破壊行為にエスカレートしていった。劉少奇、鄧小平など古参革命家もみな「文化大革命」の中で迫害を受けた。

1976年9月9日、毛沢東が逝去すると、江青をはじめとする「四人組」はいっそう国家最高指導権奪取の陰謀活動を加速させた。これは中国の古参革命家たちに深い憂慮を与えた。10月6日、華国鋒、葉剣英らは「四人組」を査問にかけ、毅然として江青反革命集団を粉砕し、10年の長きにわたった「文化大革命」を終結させた。

「文化大革命」の10年間について平常時に照らして推算すると、国民所得の損失は5000億元に上る。1970年代になると国際政局は緩和に向かい、多くの国家で経済が急速発展を開始する、あるいは持続的発展を開始する時期に入っていた。しかし、「文化大革命」の影響により中国は先進国との差を縮めることができなかったばかりか、逆に距離を広げてしまい、このため大きな発展の機会を逃してしまった。

「文化大革命」の誤りについては、毛沢東に主な責任がある。毛沢東の一生から見て、彼は中華人民共和国の成立と運営に巨大な貢献をした。彼の後半生では、党と人民を指導し国家の独立を擁護し、中国に社会主義の基本制度を打ち立て、また中国の社会主義建設の道について探求を行った。これら重要な歴史的功績と深い探求の創造精神は、十分に肯定されるべきである。彼は探求の過程で誤りを犯したが、特に「文化大革命」という重大な誤りを犯したことからは、沈痛な教訓を汲み取らなくてはならない。全面的に毛沢東の一生を評価すれば、彼の功績は第一位で、それは失われることはない。(『中国共産党簡史』(中国共産党党史出版社)に基づく 構成=王 征 翻訳=井上 俊彦)

 

人民中国インターネット版 2011年8月

 

 

 
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