トピックス 革命史跡の旅 時代とともに 党員は語る 関連資料 その時 リンク
検索
 
「新中国はここからやってきた」 西柏坡
 

西柏坡

中央軍事委員会作戦室は建築面積約70平方㍍。外観は他の建物と同じ土壁の平屋で、横長の部屋には、作戦局、情報局、戦史資料局の3つの執務机が並ぶ。敵・味方の戦力と展開状況が、ここで遂次、収集・分析され、時を移さずに中央軍事委員会と毛沢東主席、周恩来副主席に報告された。同時に、毛主席、周副主席ら軍事指導者の指示が電報で前線に伝えられた。

毎週1度、この部屋で開かれた総括会議には朱徳総司令が必ず参加し、具体的な指示を与えていた。 この何の変哲もない「農家の一室」から全国解放戦争の成敗を決定付けた「3大戦役」の勝利が導き出されたのだった。

「我々のこの指揮部は、人を送り出すわけでも、兵器を送り出すわけでも、軍糧を送り出すわけでもなく、ただ毎日電報を送り出すことで、国民党を打ち負かした」と周恩来はユーモラスに語っている。

西柏坡湖。崗南ダムによって出来たため、「崗南水庫」とも呼ばれる

■全国的勝利の局面のもと

遼瀋、淮海、平津の「3大戦役」に勝利してほどなく、1949年3月5日から13日まで、「7期2中全会」が西柏坡で開かれた。会場になった建物は、もとは中央工作委員会の大食堂として使われていたという。

会議には34人の中央委員、19人の中央委員候補と各部門の責任者11人の計64人が出席した。

正面には左右に中国共産党の党旗が飾られ、中央右に毛沢東主席、左に朱徳総司令の肖像が掲げられている。毛沢東はこの会議で報告を行い、党の活動の重点が農村から都市に移ることを明らかにし、全国的勝利の局面のもとで、党が取るべき基本政策を打ち出した。この報告は、いま改めて読み直しても多くの示唆に満ちている。

■「西柏坡精神」の一部として

「全国的勝利をかちとること、これは万里の長征の第1歩をふみだしたにすぎない」と毛沢東は語り、「中国の革命は偉大であるが、革命後の道のりはもっと長く、その仕事はもっと偉大であり、もっと困難なものである」として、「同志たちに謙虚で、慎重な、おごらず、あせらない作風を引き続き保持させなければならないし、同志たちに刻苦奮闘の作風を引き続き保持させなければならない」と要求した。

この「ふたつの保持」は、「西柏坡精神」の一部として、今日もかわらずに中国共産党員の守るべき作風とされている。

会議では、毛沢東の建議に基づいて党の指導者層に向けた6条の規定が採択された。

一に、誕生日を祝わない

二に、贈り物はしない

三に、祝杯は控えめに

四に、拍手は控えめに

五に、人名を地名に用いない

六に、中国の同志とマルクス・エンゲルス・レーニン・スターリンを同列に扱わない

おごりたかぶりや虚名を戒め、指導者が特権化することを禁じたこの「6条」は、「7期2中全会」会場旧跡にも高々と掲げられていた。

会議では多くの中央委員が発言、討議が行われて、決議が採択された。また、中国人民解放軍の軍旗が正式に制定・採択され、赤地に黄色の五角星を染め抜き、その五角星の中に赤字で「八一」 と記された旗が、この時から解放軍の軍旗になった。「八一」は1927年8月1日を意味している。この日は、江西省の南昌で周恩来、朱徳らが率いる国民革命軍が蜂起した日で、中国共産党は、この日を人民解放軍発祥の日と定めた。

西柏坡記念碑。エリア内の最高所に建つ

史跡を見下ろす高台には、1993年に西柏坡記念碑が建立された。花崗岩製で高さは20.5㍍。「西柏坡」の3字は鄧小平が揮毫している。高台に上ると、眼下には青く澄んだ西柏坡湖(崗南ダム)が広がり、遠く太行山脈の山並みを望むことができる。

 

      1   2   3   4     

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850