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新中国がここに誕生 北京

 

金田直次郎=文 沈暁寧=文・写真

2011年10月1日、北京の天安門広場は色とりどりに美しく飾られ、観光客があふれていた。「祖国を祝う」と名付けられた巨大な赤い灯籠が広場の中央に立てられ、新中国の62歳の誕生日を祝う中国の人々の思いを象徴していた。

1949年10月1日、毛沢東主席は北京の天安門の城楼の上で「中華人民共和国中央人民政府が今日、成立した!」と世界に向け厳かに宣言した。中国の人々が百年余り追い求めた民族独立、人民解放の願いはついに実現された。中国の歴史は新たな章に入った。

今回は時を62年前に戻し、新中国がどのように北京に誕生したのか、中国共産党が指導した中国の革命において、勝利の直前に北京で何が起きたのかを見てみよう。

西苑空港 上京した中国共産党の初登場

1949年3月25日、毛沢東をはじめとする中国共産党中央指導部は、北京の西苑空港で人民解放軍を閲兵した(新華社)
1949年1月31日、北平(現在の北京)の平和解放の後、党中央は西柏坡から北平へ移ることを決めた。3月22日の夜は、毛沢東が西柏坡で過ごした最後の夜であり、眠れない一夜ともなった。その夜、毛沢東は書類を見て指示を出した後、窓際に立って夜空を眺め、立て続けにタバコを吸い、明け方になってようやく床に着いた。翌朝、周恩来が毛沢東を訪ねた時、毛沢東は「今日は上京して『科挙』に臨む日だ」と笑いながら言った。周恩来は「もちろん私たちは良い成績を収めるでしょう。撤退はあり得ません」と笑顔で言葉を返した。毛沢東は「撤退はすなわち失敗。李自成の轍を踏むわけにはいかない。われわれはみな良い成績を望んでいる」と重々しく言った。

歴史に通じた毛沢東は、明末、李自成が率いた農民蜂起の軍隊が北京を占領して政権を奪った後、自惚によって安逸を貪り、結局、失敗したことがよく分かっていた。ゆえに出発前、毛沢東は周囲の人々に「同志たち、われわれは北平に入る。われわれの上京は李自成の上京と全く違う。李自成らは、北平に入った後すぐに変わった。けれど、われわれ共産党員は入京ののちも、共産主義の実現まで革命を続け、社会主義の建設のために努力しなければならない」と話した。3月23日、毛沢東は党中央機関と解放軍の総司令部を率いて、西柏坡から北平へ向かった。

25日の朝、毛沢東一行は北平の清華園鉄道駅に到着、そこで車に乗り換え頤和園へ向かった。そこで昼食ののち、西苑空港に赴き閲兵式に参加した。

西苑空港は北平郊外の西部に位置し、地形が広々とし、山間部に近い。中央の指示によって、今回の閲兵式は部隊の閲兵が主となり、北平の各界の人々も招かれていた。

西苑空港では、人民解放軍のなかで輝かしい戦功を誇る「塔山英雄団」「塔山守備英雄団」「白台山英雄団」の三つの団(連隊)の指揮官と兵士たちが、毛沢東主席の閲兵を聞き歓声をあげていた。彼らは歓喜に沸き立ち、それぞれに車の手入れし、武器を磨き、服装を整え、隊形を訓練した。みなが毛主席に会う情景を想像し口々に語り合った。

同時に、北平市内から西苑空港に至る道に、車とトラックが絶え間なく往来した。多くの人々と北平での党、政府、軍隊などの各界の代表、160人余の各民主党派の人々は喜び勇んで西苑空港での歓迎式に向かっていた。

1949年3月25日、毛沢東(前列右端)、朱徳(左から2人目)らは西苑空港に赴き歓迎する各民主党派と無党派民主人士と親しく会見した(新華社)
午後、グレーの軍装の毛沢東主席が西苑空港に現れると同時に、軍楽隊が陽気な曲を演奏し、早々と空港で待っていた労働者、農民、学生、女性など各界の代表たちから大きな歓声があがった。その後、空港の空に信号弾が昇り、閲兵式が正式に開始された。一列に並んだオープンカーが南から北へ移動し、毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩来、任弼時、林彪、羅栄桓、聶栄臻、葉剣英ら指導者たちが車に乗り、閲兵を受ける部隊の前に到着した。

毛沢東は、式の総指揮・劉亜楼に伴われ、米国製のジープに乗り閲兵した。毛沢東が乗っていた車は西柏坡から北平に向かう際に乗っていたもので、使用には耐え得るが外見はやや古ぼけていた。西苑閲兵の前、よい車に乗り換え人民の軍隊の最高統帥者の威風を示すよう提言する者もいたが、毛沢東は「わが軍隊の戦利品の車に乗り英雄の軍隊を閲兵するほうがさらに素晴らしいではないか」と言った。

中国人民解放軍の指導者グループとして、初めて北平で自らの軍隊を閲兵した毛沢東、朱徳らの顔には、無限の喜びがあふれていた。グレーのコートを着た指導者たちは、ゆっくりと走るジープの中央に立ち、重々しく右手を上げ兵士たちに挨拶した。検閲を受けた隊列では「毛主席万歳!」「朱総司令万歳!」「中国人民解放軍万歳!」というスローガンが響きわたり、中には感動の涙をこぼす兵士もいた。

閲兵式の後、毛沢東は歓迎の人々に歩み寄った。人々は手を振り上げて歓声をあげ、先を争って毛沢東と握手し、挨拶をした。李済深、黄炎培、馬叙倫、沈鈞儒、郭沫若らの民主諸党派の人々も足早に毛沢東に近づき、笑い、語りあった。中でも、かつて北平を守備した国民党の名将・傅作義は、毛沢東の手をしっかりと握りしめ「人民解放軍は威風堂々として勇ましい。外見もさっそうとしている。さすがにどれほどの強大な敵も破ることができる勝利の部隊です」と感慨深げに語った。

西苑空港の閲兵式を通じ、人民の利益を代表する中国共産党は、人民を国の主人公とすることを実現し、中国の新たな未来を開く能力を持つことを世界の人々に示した。閲兵式の後、毛沢東ら党中央の指導者たちは、香山の双清別荘へ向かい、全中国を解放する戦争の指揮に入った。

西苑空港

西苑空港(また「西郊空港」とも言う)は北京市の西郊に位置し、北京では最も古く、また市街区から最も近い空港だ。同空港は、1938年、日本により建設、1945年に国民党により接収された。1949年1月、人民解放軍華北航空処が正式に西苑空港を接管し、華北空運大隊を組成した。

1949年3月、毛沢東をはじめとする中国共産党中央指導者たちにより中国人民解放軍の閲兵式が西苑空港で行われた。新中国の成立後、同空港は中国人民解放軍空軍の専用空港となり、国家の指導者や党、政府、軍の要人が北京に出入りするのに用いられている。

1999年から、西苑空港は中国の有人宇宙飛行事業の専用空港となり、ここから相次いで神舟1~8号の宇宙船が運送され、また、2003年、05年と08年に、楊利偉、費俊龍、聶海勝、景海鵬、翟志剛、劉伯明らの宇宙飛行士が北京へ戻る任務を引き受けた

 

 

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