「井戸を掘った人」忘れずに

 唐首席委員にお尋ねしますが、中日国交正常化40年来の体験者として、一番印象深かったことは何でしょうか。

 半世紀近く従事してきた外事、外交活動で、私が政府を代表する身分であろうと、民間の身分であろうと、対日活動はずっとその中を貫いています。ある友人は、私と日本は解けない縁で結ばれていると言います。

1971年11月20日、上海舞踏学校を訪れた日本松山バレエ団が学生たちのレッスンを見学した。写真は、授業に参加し、学生たちを指導する松山樹子副団長(右から2人目)。右端は当時通訳を担当していた唐家璇氏(新華社)

元来、私は英文学専攻で、上海の復旦大学にいました。1958年、国の必要に基づいて、北京大学に転校し、日本語と日本に関する基礎知識を勉強しました。2年生に進級してから、外事活動に参加する機会を与えられ、簡単な通訳業務に従事し始めました。

中日関係の発展は民間先行で、その後、民を以って官を促す、さらに官民並行となりました。中日の民間交際は大きな役割を果たしてきました。国交正常化前に、私は大変幸せなことにふたつの非常に重要な訪日代表団に参加しました。1つは卓球代表団が訪日し、試合に出場したときです。試合後、米国卓球代表団が周恩来総理の招きに応じて訪中し、毛沢東主席は小球が大球を動かしたと言いました。2回目は1972年8月、上海バレエ団が日本を訪問し、田中角栄首相にお会いした時でした。私は孫平化氏、肖向前氏の通訳を務めました。この時の会見で、田中首相は訪中を決めたことを伝えました。9月25日、田中首相はさまざまな障害を突破して、北京へ飛び、毛沢東、周恩来ら前世代指導者と会見、会談しました。9月29日、中日両国政府は国交正常化を宣言しました。私は幸いなことに、中日両国の相互隔絶から国交正常化までの時期を体験し、戦後の両国関係の再建、改善と発展の過程で起きた少なからぬ重大な歴史的事件に参画し、中日の4つ目の政治文書―「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する中日共同声明」の交渉と最終的な詰めの業務にも参画しました。私は中日関係発展の道筋を共に歩んできたとも言えるでしょう。

1971年4月1日、第31回卓球世界選手権男女団体決勝戦が名古屋で開催された。試合の合間に米国選手団のスティンホーベン団長は、中国訪問を強く望んでいることを宋中秘書長にほのめかした。その後、選手団は、本国から「米国卓球選手団の訪中に同意する」という国際電話を受けた。1971年4月14日午後、周恩来総理が北京の人民大会堂で米国選手団と会見し、中米関係の扉が開かれた(新華社)

 往事がありありと目に浮かぶようですね。中日関係の樹立と発展を回顧したとき、どのような感慨をお持ちでしょうか。

 周恩来総理はよく「水を飲むときには、井戸を掘った人を忘れるな」と言われました。中日関係が今日のように発展できたことについて、われわれはまず両国の先輩政治家や指導者、各界の有識者たちに感謝しなければなりません。彼らは両国関係のために心血を注ぎ、大きく貢献したのです。とくにわれわれから去っていった古い友人を永遠に追懐し、彼らの遺志を継ぎ、確実な行動を通じて、彼らにご安心してもらい、敬意を表したいと思います。

中遠グループの傘下にある上海中遠物流配送有限公司は2011年3月、災害救助用の三一重工のポンプ車を無料で日本の被災地に輸送した(写真提供・魏家福)

先輩政治家たちの将来を見通した卓見や胆力、見識と気迫は人々を感服させ、両国の友好に力を尽くした多くの無名の日本の民間の人々の貢献も、同様に我々は永遠に深く心に刻み、忘れてはなりません。数十年の間、十年一日の如く、中国の砂漠化と闘ってきた遠山正瑛先生は、多くの中国人を感動させ、内蒙古の民衆は彼を記念して「緑の使者」の銅像を建て、「その情、敬服すべし、その志、鑑とすべし、その功、彰すべし」と彼を称えました。これに類する例はたくさんあります。例えば一生涯、中日友好と文化交流に力を尽くした西園寺公一先生や中島健蔵先生、井上靖先生、平山郁夫先生、清水正夫先生ら、彼らを代表とする両国の民間友好人士は枚挙にいとまがありません。

魏家福委員 唐首席委員のお話の中心的な意味は「友好は中日関係で不変のテーマ」と言えますね。これは、先人たちの生涯の奮闘の目標だったというだけでなく、後世のわれわれが努力、実践しなければならない道しるべです。

2003年10月、大島造船所を訪問した魏家福氏ら一行は歓待を受け、辞去する時には、名残を惜しむ大勢の人々に見送られた(写真提供・魏家福)

私ははっきり記憶しています。中国の汶川大地震と東日本大地震が発生した後、両国人民は互いに助け合い、私心のない援助を行い、「苦しい時こそ本心が見える」といわれるように、中日交流の中で感情という要素の大切さがうかがえました。「3・11」大地震後、中国遠洋運輸(中遠、Cosco)グループは日本へ総計約3200万円を寄付し、災害救助用のポンプ車を無料で輸送しました。福島原発事故が発生した後、世界の多くの大手海運会社は日本の港に寄港する船舶を減らしたり、キャンセルしたりしましたが、中遠グループは一貫して社会的責任を果たし、日本の港への寄港を堅持し、減便もしませんでした。

2011年4月11日、丹羽宇一郎在中国大使はわざわざ私に「中遠の慈善事業は感動的で、人々の心を温め、中遠が輸送したポンプ車は多くの日本人の生命を救いました。日本国民はこのことを決して忘れませんし、もっと多くの日本人に必ず伝えていきます」と語ってくださいました。こうしたことはすべて友好の深い気持ちの現れで、中日両国人民が共に心待ちにしているものでした。

 

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