40年の成果、経験、教訓

周明偉外文局長 今年は中日国交正常化40周年に当たります。それではこれから中日友好21世紀委員会中国側の唐家璇首席委員、葉小文委員、魏家福委員、薛偉委員と私の5委員で、中日国交正常化40周年に際して、中日関係の昨日、今日、明日について、座談会を開催させていただきます。 唐家璇首席委員 今年は中日国交正常化40周年であり、中国には「一年の計は春にあり」という古言があります。われわれは旧暦の早春2月にここに集まり、過去を回顧し、未来を展望し、中日関係について、それぞれの見方を語り合い、相互交流を図ることは、私は大いに必要があり、時宜にかなっていると思います。

1972年9月27日夜、毛沢東主席は中南海で田中角栄首相と会見した。毛沢東主席は『楚辞集注』一セットを田中首相に贈った(新華社)

 中日交流には数千年の歴史があり、一衣帯水、源が遠ければ流れも長くなるというように長い歴史と伝統を持っています。長い歴史の河の流れの中で、40年は指をはじくように極めて短い時間に過ぎませんが、この40年は中日両国関係史上で発展が最も速く、この地域に対する影響力が最も大きかった時期です。中国に「四十にして惑わず」という古言があります。この「不惑の年」は中日関係にとって何を意味しているでしょうか?唐首席委員はこの40年の中日関係にかかわってこられた体験者、参画者でいらっしゃいますが、われわれはまず、唐首席委員の見解をお聞かせいただきたいと思います。

 いわゆる「四十にして惑わず」は、私の体験から申し上げると、40歳になると、人間が成熟し、多くの道理について、感じ悟ることができ、しかも緻密、周到に問題を考慮し、深く問題を斟酌し、慎重、妥当、効果的に問題を解決できるようになることです。

国と国との関係も同じです。「不惑の年」を迎える中日関係はまさに成熟への道へ歩んでいます。この40年以来、中日関係は総体的に形勢は良好でした。もちろん、この間にも問題が出来し、摩擦もありましたが、各種の試練を受け、現在両国の関係が新たな歴史的起点に立ち、過去を受け継ぎ未来を開き、前を受け継ぎ将来の道を開くポイントとなる時期に入り、重要な発展のチャンスに直面していますが、少なからぬ困難にも直面しています。

1984年3月25日、鄧小平中国共産党中央委員会顧問委員会主任は北京の人民大会堂で中国を訪問した中曽根康弘首相と会見した(新華社)

中日国交正常化後の40年の両国関係発展について、すこぶる感慨深いものがあります。その中で最も感慨深い点は、中日関係がわずか40年の間にこれだけ大きな発展を成し遂げたことで、当初は誰も思いも寄りませんでした。私ははっきり記憶していますが、1972年の復交当時、中日間の貿易額はわずかに10億ドル、人的往来は延べ1万人ほどでした。2011年、両国の貿易額は3429億ドルに達し、340倍に増加し、人的往来は延べ528万人で、500倍以上になっています。両国の姉妹省県、姉妹都市は無から有に転じ、すでに247組に増えています。

中日関係の長足の発展は、双方に重要な利益をもたらし、両国人民は確実に実益を手に入れ、また両国各自の発展を促進する上でも実力を発揮し、アジアと世界の平和と繁栄に有益な貢献をしました。

 唐首席委員、ありがとうございました。お話では今日の中日関係を明確に評価しているだけでなく、いくつかの数字から、中国外交史上において、日本のように、このような短期間にこのような大きな変化を生み出した国はめったにないということを理解させていただきました。それでは、唐首席委員におうかがいしますが、中日関係はこの40年にわたって築いた基礎の上、いかに発展し続けるのでしょうか?

 常々考えていることですが、中日関係が今日まで歩んできたのは非常に困難で、暑さ寒さもあり、風雨もあり、曲折を経てきたものの、しっかりとその試練を受け止めています。われわれも両国関係の発展の経験と教訓を真摯に回顧し、総括し、その基礎の上に、いっそう成熟した精神と理性的態度で、両国関係と当面する問題を認識し、それに対応しなければなりません。

1997年9月5日、北京中南海で橋本龍太郎首相と会見する江沢民国家主席(新華社)

こうした経験や教訓はまず、中日間の「4つの政治文書」(1972年の「中日共同声明」、1978年の「中日平和友好条約」、1998年の「中日共同宣言」、2008年の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する中日共同声明」)の中で体現されていると私は思います。こうした文書の精神に従って事を運べば、中日関係は順調に発展するに違いありません。具体的には以下、いくつかの面を含んでいると考えます。

第1に終始、戦略的に、長い目で両国関係を処理しなければならないということです。両国の指導者は、この面においてお手本をわれわれのために打ち建てました。毛沢東、周恩来、鄧小平ら先輩指導者と当時の日本の指導者はいっしょに、内外の情勢の変化と発展に適応し、両国人民の共同の願いと長期的な利益から出発し、さまざまな困難を克服し、戦略的な決断を下しました。こうしてはじめて中日両国は国交正常化を実現し、『平和友好条約』を締結できたのです。江沢民氏が総書記であったときには、中日関係を発展させるには「高みに登って遠くを見る」必要があるといつも語っていました。胡錦濤総書記が提起した、中日両国は「平和共存、代々友好、互恵協力、共同発展」を実現しなければならないという「十六字方針」も、先に述べた精神を体現しています。

第2に、「歴史を鑑とし、未来に目を向ける」ことを堅持し、正確に歴史問題に対応し、処理するという前提の下で、両国関係を発展させなければならないということです。40年来、中日関係は何回も歴史問題によって厳しい局面に直面してきました。その中から得た教訓は、極めて深刻であるとしかいえず、いつでもしっかり心に刻み、真面目に教訓を汲み取り、この問題で再び両国関係の大局に衝撃を与えることがないよう努力しなければならない、ということです。

2011年12月26日、胡錦濤国家主席(右)は人民大会堂で野田佳彦首相と会見した(cnsphoto)

第3に、その他の重要で敏感な問題を適切に処理しなければならないということです。中日両国間には、感情的なもめごとがあった歴史があり、現実的な利害の衝突もあり、そのいくつかはさらに非常に敏感な問題であり、両国関係にとってかなりの「殺傷力」があります。我々は、こうした問題を処理するときには、終始、両国関係の大局を重視し、双方が達成した共通認識と了解に基づいて、とくに中日間の「4つの政治文書」の原則と精神に基づいて、交渉と対話、協議を通じ、真摯に、適切に処理することを堅持しなければなりません。

第4に、互恵協力の大方針を堅持しなければならないということです。中日関係の40年の発展の道のりは、両国の共同の利益が不断に拡大し、利益の紐帯が絶えず深化してきた過程であり、これが両国関係の長期的発展のためのしっかりした経済的基礎を固めました。双方はなおいっそう励み、引き続き協力と「ウィン・ウィン」の道を歩み、共同の利益という「パイ」をさらに大きくしなければならないのです。

第5に、終始、中日友好を堅持しなければならないということです。中日友好は大勢の赴く所、人心の向かう所であり、妨げることのできない歴史の流れです。たとえ社会の思潮や価値観が多元化している今日でも、友好は依然として中日関係の変わらぬテーマでなければなりません。われわれは国交正常化の原点に立ち返り、中日友好の持つ深い内実をしっかりと理解し、中日友好の旗幟を高く掲げ続けなければなりません。

 

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