香港・マカオの繁栄と安定 どうして維持できたのか?

中国共産党中央党校党史研究室教授 謝春濤 氏

謝春濤(しゃしゅんとう)
Profile1963年2月生まれ。山東省臨沭県出身。1988年から中国共産党中央党校で党史と理論の教育、研究に従事している。現在、同校党史研究部副主任、教授、博士課程指導教官。浙江省金華市副市長を兼任。主な編著に『中国の特色ある社会主義史』『転換する中国-1976-1982』『歴史的軌跡 中国共産党はなぜできるのか?』など。
1995年6月、米誌『フォーチュン』は「デス・オブ・ホンコン(香港の死)」と題して、香港は復帰後、活力に満ちた国際的なビジネスと金融センターの地位を間違いなく失うと断言した記事を掲載した。しかし、事実が証明したように、かれらは間違った。そして、2007年7月、同誌は「ああ、香港は死ななかった」と題する謝罪記事を掲載せざるを得ず、「2007年、この都市は以前にもまして繁栄している。おっしゃる通り、われわれが間違っていた」と書いた。

中国共産党は何に頼って、香港・マカオ(澳門)の繁栄と安定を保つことができたのだろうか?

長期的に考え十分利用

近代史上、1842年から1898年までの間に、英国は武力によって、腐敗し、弱体化していた清朝政府に迫り、相次いで『南京条約』『北京条約』『香港領域拡大協約』などの調印を強い、1997年6月30日までの99年間、全香港地区を強制的に租借させた。さらに、1887年、清朝政府はポルトガルからも『友好通商条約』の調印を迫られ、ポルトガルの「マカオ永久管理」に同意した。

清朝が覆された後、北洋政府、国民政府はもちろんのこと、中華人民共和国政府もこれらの不平等条約を認めず、香港・マカオ復帰のためにたゆまぬ努力を重ねた。1949年、ソ連は中国共産党に武力による香港奪還を提起した。しかし、中国共産党中央委員会は香港の安定と安全を保証するため、「暫時、香港問題には触れない」「長期的に考え、十分に利用する」という政策を決定した。

1974年5月、毛沢東主席はエドワード・ヒース英国首相と会見した際、香港を1997年に平穏に引き渡すべきだという明確な意思を表明した。中国政府の努力によって、1972年3月8日、国連総会は香港・マカオを植民地リストから削除した。これは、香港・マカオが中国に復帰する実質的な段階に入ったことを象徴している。

華人の中で最も裕福な李嘉誠氏は、1949年、中国共産党は一挙に香港を取り戻すこともできたが、そうしなかったのは、中国共産党が香港の混乱を望まず、本心から香港を大事にしていたからだ、と認識している。

主権問題は交渉しない

鄧小平氏はかつて次のように語ったことがある。私の最大の願望は、1997年まで生き、香港が中国に復帰した後、われわれ自身の土地になった香港に行き、そこを歩くことだ。1970年代末、鄧小平氏は「一国二制度」という創造的な構想を提起し、香港問題解決の道を開いた。

「一国二制度」の核心は、香港・マカオが復帰した後も、中国内地では社会主義制度を堅持し、香港・マカオではそれまでの社会制度を変えないということだ。

1982年9月、マーガレット・ヒルダ・サッチャー英国首相が訪中し、「鉄の女」の呼称で有名な彼女は、香港問題について、主権と統治権との交換を提案した。鄧氏は、1997年に中国政府が香港を取り戻すことに関して、融通を利かす余地はないと、きっぱり拒絶した。

1997年6月30日、香港コンベンション&エキシビション・センターで行われた香港政権引き渡しの式典に出席した中英両国首脳。7月1日午前0時0分、中国は香港での主権行使を回復し、百年近い英国植民地統治時代にピリオドを打った(新華社)

後に、英国はまた、1997年から、香港には約30年前後の過度期が必要だと提案した。これに対し、中国政府は決然と反対し、中国の国家主権を損なうことは、絶対に受け入れられないという考えを表明した。中国政府の決然とした態度と立場によって、英国の一切の幻想は破綻に追い込まれた。1984年9月26日、中英双方はやっと共同声明に調印し、1997年7月1日に中国が香港での主権行使を回復するための協議にこぎつけた。

マカオ問題については、1979年、中国とポルトガルが外交関係を結んだ際に、双方はすでに了解に達し、ポルトガルはマカオは中国領土だと承認した。数回にわたる交渉を経て、1999年12月20日に中国がマカオでの主権行使を回復する協議を達成した。

カナリアは今でも鳴く

1997年7月1日、江沢民国家主席が香港復帰を宣言し、合わせて復帰後は「一国二制度」を貫徹する方針を承諾した。

1997年と1999年に、中国政府は香港・マカオの主権行使を回復した後、中央政府は一貫して「一国二制度」「香港人による香港統治」「マカオ人によるマカオ統治」「高度の自治」という基本方針を堅持し、香港特別行政区とマカオ特別行政区をそれぞれ設立し、さらに法律上の保障を与えた。

1998年、アジア通貨危機が発生し、香港は深刻な影響を受けた。中央政府は強大な市場と強気な為替政策によって、香港経済の安定を守った。2001年から2005年まで、中国内地は香港に合わせて1620億㌦の資金を投入し、香港経済の回復を大きく促進した。現在、香港は依然として世界最大の証券市場の一つで、コンテナ呑吐量(貨物取扱量)は世界の前列を維持し、航空貨物輸送量も一貫して世界の首位を保ち続けている。香港の経済は依然として活力と発展する潜在力を持っている。2007年、サッチャー夫人はBBC放送の取材を受けた際に「事実が証明したように、復帰後の香港に対して10年前に感じた懸念の大半は理由のないものだった」と、語った。

マカオは面積が狭く、産業構造も単一だ。2006年、中央政府はマカオを大珠江デルタ計画に取り入れることを批准し、巨額の資金を投入し、マカオのインフラ建設と教育文化の発展を促した。2009年、マカオ復帰10周年の際、マカオ市民に対するアンケート調査によって、98%の人が「一国二制度」はマカオで成功裏に実践されていると考えていることが分かった。

 

人民中国インターネット版

 

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