元在中国日本国大使館職員 佐渡京子

 

映画助監督からの転身

北京に住み10年が経ちました。私は大学卒業後、日本の映画会社に入社し、ドキュメンタリー映画の助監督として映画制作に従事してきました。1999年、出張で初めて北京を訪れました。街を見学した時、市場や商店で店員たちが仕事中に絶えずおしゃべりをし、ドアのないトイレの中でもずっと会話をしている場面に遭遇し、中国の方は明るくて話し好きという印象を受けました。日本ではそのような光景は見たことがありません。そして同時に「いったい何を話しているのだろう、何をそんなに会話をすることがあるのかな、私が中国語ができれば会話の内容がわかるのに……」と思いました。それが中国に興味を持ったきっかけで、日本で中国語を習い始めました。

2001年頃、日本のドキュメンタリー映画はフィルムからビデオに撮影方式が切り替わる時期でした。ビデオに替わるということは、監督自身で撮影することも可能であり、撮影クルーが縮小され、助監督がなくてはならない存在ではなくなってきました。好きなことを仕事にしたいと思いながらも、経済的にも自立した生活をしたいと考えていた私は、進路に悩み、最終的な答えが出ないまま、当時興味を持った中国語を本格的に勉強しようと、中国留学を決めました。

はじめは1年の予定で北京の大学に語学留学をしましたが、中国で仕事をしてみたいという思いが強くなり、更に留学を1年延長しました。2年勉強しても、まだ中国語能力が足りないと思ったのですが、早く社会復帰したいという気持ちもあったので、仕事をしながら、言語感覚を更に深められる日本語教師をすることに決めました。

北京で「つくる」こだわり

日本語を学ぶ中国の大学生は、趣味で日本語を勉強しているわけではなく、日本企業に就職希望または就職活動を有利にするために上級の日本語検定を目指す学生たちで、「仕事で使う日本語をもっと教えてほしい」「面接で使う日本語を教えて欲しい」といった質問を頻繁に受けました。日本語教師としての2年間は、学生との交流も楽しく天職だと思ったほどですが、学生たちに中国における日本の企業や組織について教えられるように、まず私が日本人の組織で働いてみようと考え、北京で就職活動をして、在中国日本国大使館に勤務することになりました。日本語教師は授業を通じて、人をつくる仕事でしたが、今度は、大使館の新事務所の建設に携わること、建物をつくることが私の仕事になりました。

私は、これまで映画の仕事や日本語教師、大使館での仕事、と好きなことばかりやってきたように見えるかもしれませんが、映画をつくる・授業を通して人をつくる・大使館の建物をつくる・中国語を通じて人との関係をつくる、「何かをつくる」ということにこだわりを持ってきたような気がします。

北京は私の元気の源

私は北京が好きです。中国や北京は、私に刺激を与え続けてくれる、元気がある場所だと思います。

今後は、私が日本で学んできた映画の知識と技術を生かし、自分の出来る範囲で、映画関係の仕事で頑張っている中国人や日本人に対して、お手伝いし応援していきたいと思います。

そして、常に何かをつくる仕事をしていたいです。つくることが形として残らなくても、人との関係や国との関係をつくることで、また何かがつくりだされると信じています。

 

 

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