中日新聞・東京新聞中国総局総局長 渡部圭

 

私の日中交流

私が初めて中国を訪れたのは1988年春、大学3年の時だった。香港から船で広州に入り、ウルムチ、北京、上海と回った。1カ月近くにおよぶ旅の忘れられない思い出の一つに、ウルムチで出会ったF君のことがある。新疆大学で日本語を専攻していたF君は、頭を丸刈りにした素朴な学生で、中国語がよく分からない私を案内してくれた。彼だけでなく、列車や駅、街角や店で出会った中国人はみんな純粋で、日本から来た若者に優しく親切に接してくれた。「いつかまたこの国に」との思いを強くした。

念願かなって10年後の1998年、北京に一年留学する機会を得た。32歳で本格的に中国語に取り組んだ。年下の先生、さらに若い同級生たちも、日本から来たおじさんを熱心に指導してくれた。驚いたことに、1999年夏、新疆のカシュガルを訪れた際、泊まったホテルで土産物店を営んでいた女性が、なんとF君の友人だった。彼女の計らいでF君と11年ぶりにウルムチで再会。屋台で羊肉の串を食べ、ビールを飲んだ。F君は旅行社の日本語ガイドを務めていた。この年、旧ユーゴスラビアの中国大使館誤爆事件を機に反米デモがあり、一部が反日に飛び火したが、留学生や駐在者が危ない目に遭うことはなかった。

2001年から上海勤務に。人々の暮らしは目に見えて良くなり、経済発展で自信を深めていた。だが、政府も企業もまださまざまな面で日本や欧米に学ぼうとしており、日本人の滞在者も急増した。この間、ウルムチを訪れる機会があり、またF君と酒を飲んだ。F君は旅行社の重役になり、食事の場所はレストランになった。2002年は国交正常化30周年で、両国交流の象徴であるパンダやトキを取材。この年、脱北者が瀋陽の日本総領事館に駆け込み、中国の警察に連れ出される事件が起きたが、日中関係への影響は局部的だった。

昨年から北京勤務になった。旅行社の名刺の携帯番号に電話してみると、なんとF君は北京にいた。旅行社を人に任せ、自分は骨董品店を経営していた。今度は北京で杯を交わした。初めて出会った時の古い写真が出てきて、2人で今の顔と見比べて大笑いした。F君と出会ってほぼ四半世紀、つまり私と中国との付き合いも断続的ではあるが、それだけの長さになったわけだ。

国交正常化40周年の今年は、釣魚島問題に端を発し、両国関係は最悪の状態だ。比較的順調だった民間、経済交流も激減した。幸い私はまだF君と酒を飲むことができるが、両国首脳は一緒に食事もできない。閉塞感の中、私には友人たちの「安全に気をつけて」「すぐよくなるから」という励ましだけが救いだ。日中交流は大きな曲がり角に来ている。

 

 

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