中国国家一級京劇俳優 趙永偉

 

幼少から京劇の道へ

40年前の1972年、当時7歳だった私は、京劇俳優の両親の影響もあり、京劇に魅せられ、訓練を始めました。その後、母の反対にも屈せず、11歳で哈爾浜(ハルビン)市芸術幹部学校の試験を受け入学、哈爾浜京劇院で主役俳優となった後、全国統一試験を経て中国戯曲学院の表現系(演劇科)に入学しました。卒業後は、国の分配政策で、中国京劇院(現:国家京劇院)へトレードされ、今日に至ります。その間、多くの名優の先生方に師事する機会に恵まれ、国家一級俳優となり、梅蘭芳金賞、梅花賞等、戯曲界及び戯劇界の最高賞をいただきました。また京劇では初めての試みである大学院(中国戯曲学院研究生班)の第一期研究生に選ばれ、舞台上の実践のみではなく、包括的に京劇を学ぶ機会を得ました。

文化、そして京劇で日中交流を図る

縁があり、京劇院の公演で数回訪日し、また日本に居住していた数年間は、民間の団体や中学、高校等で京劇ワークショップや公演をする機会にも恵まれ、多くの日本の観衆と交流をする機会がありました。欧米での公演と違い、日本での公演は、多くの日本人が三国志や水滸伝、西遊記といった物語を理解している事もあり、観衆からの非常に強い手応えを感じます。東洋芸術の表現方式も似ている事から、容易に理解可能な為とも思われます。ある日、東京でタクシーに乗った際、運転手に職業を問われたので、自分は京劇俳優で、「呂布」を演じたりすると答えたところ、即座に、では典韦と戦うのかと返され、驚きました。学生達も物語だけでなく、京劇の衣装や隈取り、唄やしぐさ等にまで感心を示してくれます。次世代を担う、一人でも多くの日本人に中国の伝統文化が凝縮された京劇芸術に興味を持ってもらい、中国文化への理解がすすむ事を期待しています。互いの国民の理解は、まず文化の理解や交流から始まると思っています。

中国と日本の伝統芸術交流の歴史は長く、1919年、京劇の名優で女形の梅蘭芳は、訪日公演を行い、当時の日本の文学界や芸術界へ大きな反響をもたらしました。現在、中国国内でも歌舞伎や能、狂言といった日本の伝統芸術の訪中公演が行われ、頻繁に鑑賞が出来ます。ここ数年、特に感銘を受けたのは、歌舞伎俳優で女形の坂東玉三郎氏の中国昆曲「牡丹亭」の公演です。。昆曲の代表演目「牡丹亭」を歌舞伎俳優の坂東氏が昆曲独特の表現形式を研究しつくし、高い芸術性を持つ演技により、中国の古典美と文学作品上の「杜麗娘」をこの上ない趣で見事に蘇らせていました。京劇俳優のみでなく、中国の演劇界に大きな反響をもたらしたと言っても過言ではないでしょう。坂東氏も「梅蘭芳の芸術から多くの影響を受けた」とおっしゃっています。1956年、訪日公演をした京劇の名優、李少春は、日本舞踊の扇の使い方からヒントを得て、西遊記の演技に取り入れました。東洋の芸術である京劇や歌舞伎は、長い間、共に強く影響を及ぼし合ってきました。

国交正常化40周年を機に

この度、私は本年7月、中国の芸術大学の最高学府である「中央戯劇学院」表演系京劇学科の教授に就任しました。この40周年を機に、今後は公演活動以外に、次世代の優秀な人材を発掘し、若い俳優の輩出にも尽力していきたいと考えています。また日本との文化芸術交流においては、日本の古典芸術の中に見出す事ができる中国で廃れつつある芸術形式を復活させたいと考えています。

 

 

人民中国インターネット版
 
 
 

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850