中国のジャンプ 
復活に尽力

白馬ジャンプ競技場にて、大塚善弘さん(右から3人目)と中国人の若手ジャンプの選手たち(写真提供・大塚善弘)

長野県は1980年から全国に先駆け、中国のスキー研修生を受け入れ、中国とのスキー交流を続けてきた。白馬村は一九九八年に開かれた長野冬季オリンピックでは、ジャンプ競技場となった。

夏でも練習できるジャンプ台を求めて中国のナショナルチームが白馬村と飯山市にやってきたのは1991年。あれから21年経った今もほぼ毎年、白馬村の大塚善弘さんが経営する宿には、中国の選手団がやってきて、1カ月ほど合宿している。中学生や高校生の初心者を含む20人ほどのメンバーをまとめているのはワールドカップ出場経験もある元選手の朴雪峰さんだ。

毎年交流を重ねるうちに大塚さんと朴さんの間にはいつからか親子のような感情が芽生えた。国の方針でジャンプチームが解散してしまった時、朴さんが書いた手紙に胸を打たれ、大塚さんはその後も全力で、中国の選手たちの世話を見てきた。

「ビザや費用など、多くの関係者の皆さんの協力があってこそ応援を続けられました」と大塚さんは当時をふり返る。その後、中国ジャンプチームは力をつけ、復活した。「長野県の皆さんの協力がなかったら、今日の中国ジャンプチームは存在しない」と朴さんは言っている。

中国人もわさび好きに 
胸にツンと来る思い出

「わさび、もう少しください」。日本料理店で中国のお客さんはよくこう言う。山盛りのわさびをそのまま食べるツワモノもいる。中国の街ではわさび味の豆菓子が売られている。これまで中国人は、わさびをあまり食べなかったが、今やわさびは中国人の生活にすっかり根を下ろしている。

静岡と並ぶわさびの生産地、長野県。美しい水を誇る安曇野の「大王わさび農場」には中国人観光客を乗せたバスが毎日やってくる。その数は、多いときには10台になるという。

上高地やアルペンルートの行きか帰りに訪れるパターンが多く、観光客のほとんどが「本わさびソフトクリーム」や「わさびコロッケ」に舌鼓を打ち、各種わさび製品のおみやげを買う。初めて見るわさび田では、スケールの大きさや青々とした風景に胸を弾ませ、写真を撮ったり、清流に手を浸したりと、「わさびの聖地」を大いに堪能している。

中国でもめったに見られない「媽祖門」(写真提供・大王わさび農場) 本わさびソフトクリーム

「北京放送を開く会」が原点

孔子学堂の授業風景 (写真提供・長野県日中友好協会)
長野県日中友好協会の事務局内にある長野ラジオ孔子学堂は、中国国家対外漢語教学指導グループ弁公室、中国国際放送局 (北京放送)と長野県日中友好協会が2007年に共同で設立した日本人向けの中国語学校だ。日本で最初につくられたというだけでなく、北京放送と日中友好協会が提携して設立した日本唯一の「ラジオ孔子学堂」でもある。

その前身ともいえるのが「長野中国語を学ぶ会」。30数年前、北京放送の番組を通じて中国語学習に熱心な十数名の「北京放送を聞く会」の人たちが、この「学ぶ会」を創立した。今や会員数も百名を超え、県内各地に広がっている。

孔子学堂の生徒たちは、中国語教師のほか、プロの中国人アナウンサーからも本格的な中国語を習得する一方、「夏期スクーリング」に参加することを通じて、餃子作りや切り紙、ヤンコ踊りなどさまざまな中国の伝統的な文化も体験できる。

今、孔子学堂の学生数は70人で、長野県における中国語学校の中で一番多いという。同学堂の中国側責任者である鄧徳花さんは「中国に対する長野県民の友好と情熱が、仕事の支えになっています」と言っている。

戦争の遺産を 
平和のために

1931年、日本が侵略した中国東北地方に、多くの日本人が送り込まれた。彼らは「開拓団」と呼ばれた。しかし終戦後、日本政府に放置された彼らも、戦争被害者であり、難民だった。中国政府の支援を受けた彼らの多くはその後帰国したが、少なからぬ人々は残留孤児となり、現地の中国人に救われ育てられた。

中国帰国者への理解を深める長野県民の集い(写真提供・長野県日中友好協会)

長野県は全国最多の約3万3千人の「開拓団」を中国に送り出した。このうち生還したのは半数の約1万5千人にすぎない。

長野県日中友好協会は1950年代にその基礎ができた。まず取り組んだのは、現地で消息不明となった開拓団関係者の消息を知ること、そのための現地訪問だった。戦争末期、長野県にも2千数百名の中国人が強制連行され2百数十名の人々が悲惨な最期を遂げていた。県協会は日本全国の友好人士と協力して犠牲になった中国烈士の遺骨収集と慰霊送還に取り組んだ。

同会の布施正幸事務局長は「長野県民にとって、帰国者の問題は避けて通れない。国同士の関係がどのような状態になろうと、日本と中国は仲良くやっていかなくてはならない。マイナスの歴史をプラスにするために多くの先輩の皆さんが心血を注いで友好活動に努力してきた」と語る。

日本軍国主義の中国侵略は中国人民に深刻で重大な災難をもたらし、日本人も多くの犠牲者を出した。この歴史を教訓に、その歴史を風化させず、平和と友好を継承するため、木造平屋建て約440平方メートルの帰国者の記念館が、来年春、長野県下伊那郡阿智村に誕生する。中には展示室が設けられ、帰国者の語り部が体験を語るコーナーもできる予定。現在、開館に向けて、資料等の提供を県民に呼びかけている。

 

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