天津は「中国北方演芸のふるさと」と呼ばれるが、一方で演芸は天津の都市文化に大きな位置を占め、天津都市文化の重要な構成部分となっており、きわめて特色ある都市文化ブランドとなっている。
中国北方演芸の多くの芸種が天津という土地の上に形作られ、変化、発展、成熟してきた。いくつかの芸種の発祥地は天津ではないものの、天津に伝わって以降よく発展して、違った流派を形成し、最終的に伝承された。例えば、梅花大鼓、単弦、相声、評書などがそれに当たる。またいくつかの芸種は天津で形作られたもので、京韻大鼓、京東大鼓、鉄片大鼓、快板書などの前身は最初別の地方で流行したが、天津で非常に盛んになりより人気を集めるようになった後現在の名前が付けられ、幅広く大衆に受け入れられたものだ。天津自体にも天津時調、天津快板など人々の耳になじみの芸種があり、国内外の演芸愛好家に深く愛されている。

天津の演芸は芸種が多いだけでなく、多くの名人を輩出しており、多くの流派も登場している。天津の演芸発展史をひもとくと、天津で育ち名を成した演芸名人の先達は枚挙にいとまがない。例えば、相声の巨匠張寿臣や馬三立、駱派京韻大鼓創始者の駱玉笙、天津時調の名人王毓、梅花大鼓の名家花四宝などで、みな天津演芸の発展、伝承に大きな貢献をしてきた。
それ以外にも、多くの演芸名人が天津の演芸舞台で頭角を現し人気になっていった。例えば大鼓界の大王・劉宝全、梅花大鼓王・金万昌、単弦大王の栄剣塵、相声の名人侯宝林などで、みな後に演芸会における一代の巨匠となった。
演芸は伝統文化の要素として、現代文化要素と結びつき、天津という都市文化の中で欠かせないものとなっており、天津人の生活に密接に融合し一体となっている。天津人の持つ度量が広く、包容力に富む気迫と豪放でさわやか、闊達で楽観的な性格も、演芸がこの肥沃な土地で大きく育ち、大きな果実を結んだことにつながっている。
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