中日の未来のために私たちが出来ること

董欣欣(北華大学)

 

日本文化を勉強するとともに、日本を関する知識も豊かになった。長い歴史の中で、中日の関係はとても微妙だと思う。中国と日本は一衣帯水の隣国として、競争はもちろん、ウィン・ウィンに向けて、一致する点を求めて、両国の協力もあちこち山ほどがある。中日の友情も輝かしい花火のようにますます深くになった。

皆に知れ渡っているのように、2008年四川大地震の中で、、日本国際救援チームは被災地区へはじめ駆けつけるのだった。その当時に、日本国内で、日本救援ボラチアーは四川の再建するために、全社会に向けて寄付を募って罹災者を救済する援助を強く呼び掛ける。横書きの布に「唇がなくなると歯も寒くなる、心を合わせて地震と戦う」というスローガンが書かれている。日本のコンビニやスーパーなどぞの店の前で寄付を募る箱が設けている。その時、日本のレストランで、店の主人と店員は中国人にあった時、必ず「四川はどうですか?私たちは四川のことがとても心配しています、もっと多くの人が配ればいいです」と言う。それを聞くと、私たちの中国人の心はすぐに暖かくなる。

今年61歳を迎える井村雅代氏は日本及び世界のシンクロナイズドスイミング界における伝奇的な人物だ。「日本シンクロの母」の名に恥じない活躍を見せた。30年以上にわたってシンクロのコーチを務め、かつて日本では無名だったシンクロスポーツを知名度の高い競技へと発展させた。北京五輪の開催前、井村氏は様々な意見がある中、中国代表チームの監督に就任した。その後、上海で行われている水泳世界選手権に至るまで、井村コーチ率いる中国チームは絶えず新たなブレークスルーを果てし続けている。

中国シンクロが自らの地位を築いた。彼女は、中国選手達を自分の娘のように可愛がった、ロンドンへの出発式荷は、選手達にスカーフを巻き、「自分の最も美しい一面を見せるのよ」と励ました。しかし、私たちが真に心を打たれたのは、スポーツとは関係ない部分だった。2008年に日本で「ギョーザ事件」が起きた後、マスコミ各社の北京特派員をマンションに呼び、「皆さんは中国に長くいっらしゃるので、真の中国をご存知でしょう。ありもしない噂ではなく、真実を日本に伝えてください」と呼びかけた。61歳の井村氏にとって、スポーツはとっくに国境を越え、競争を超えた。中日友好関係のために、自分の全力を出し尽くす。

体育界で、福原愛は「天才卓球少女」、「泣き虫愛ちゃん」中国でのニックネームは「瓷娃娃」こと福原愛選手は、中国国民から広く愛されている。中国人は彼女のことが好きな理由、彼女は素晴らしい中国語が話せるだけでなく、彼女は中国ファンで特別な気持ちを持っている。四川大地震の時、福原愛は自分の財産を寄付する。そして、地震の被災地区の子供たちが励ます。

中日両国の友好の道はまだまだ長いが、このようなメールマガジンは、友好の道の途上で出会う美しい景勝地であるに違いない。中日交流協会の若者たちは、彼らの情熱と叡智によって、中日両国の友好的交流のために新たな橋をかけようとしている。彼らに心からの祝福を捧げたいと思う。

 

 

 
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