中日の未来のために私たちが出来ること

瀋欣慧(華東師範大学)

 

「今日はここまでにしましょう。お元気で。」私はそう言って、山田さん夫婦の家を出た。道にさわやかな風が吹いていた。木犀の香りもこもっていた。一人で歩いても、気持ちがよくなった。

私は近くの公園へ行って、そこのベンチに座った。自然の中にいると、なぜか落ち着いてくる。山田さん夫婦との初対面が思い出された。

それは二年前のことだった。ちょうど春の季節だった。日本語の勉強も半年になり、日本人との交流も深めたく、私は何かをしようと思った。先輩が紹介してくれたおかげで、日本人向けの中国語教室で働いている人事課の陳さんと知り合った。これをきっかけに、中国語を教え始めることになった。

教師になることは私の想像以上に難しくて、大変だった。中国人だから、中国語の教師になれるとは限らない。私は教科書を工夫して、一ヵ月半もかかって、やっと生徒に教えられるようになった。「明日の朝、九時三十分に山田さん夫婦の家ではじめてのレッスンすることになりました。遅刻しないでください。」食事をしている時、陳さんから電話がかかってきた。それを聞いたら、嬉しくて、目の前にある食堂のまずい料理もおいしくなった気がした。その夜はどきどきしていて、ずっと明日のレッスンを考えて、眠れなかった。夜明けになってやっと寝た。目覚し時計が鳴ると、私はすぐ起きた。八時になると、寮を出て、駅に向けて出発した。地下鉄に乗っている時もずっと山田さん夫婦の顔を想像していた。

山田さん夫婦の家に着いて、ドアのベルを押すとき、手が汗でぬるぬるしていることに気が付いた。ドアを開けたのは50歳ぐらいの奥様だった。挨拶してから、私は中に入った。奥様は親切にお茶を入れてくれて、「どうぞ、どうぞ」と私に勧めた。こんなに暖かくて、おいしいお茶を飲んで、私の緊張感もなくなるようになった。しかし、私は経験不足か、準備不足か、レッスンがうまくいかなかった。だんだんと、私の顔は真っ赤になって、山田さんの声も聞こえなくなった。「先生、大丈夫?すこし休憩しましょう、お茶を飲んでください。」私は頭を上げて、心配している奥様の顔を見た。二人の優しい目を見て、私は涙が出てきた。こんな優しい夫婦がそんな私を心配してくれて、ありがたい。しかし、私は中国語レッスンすらできなかった、申し訳ない。…… 

山田さん夫婦の家を出た後、頭に浮かんだのは「もうだめだ」ということしかなかった。その後、山田さん夫婦が来週同じ時間にレッスンをしたいと言っていると陳さんが私に伝えた時、まったく信じられなかった。それから、私は感謝の気持ちでレッスンを続けた。私が上手になるとともに、山田さん夫婦とも仲良くなった。ある日、レッスンが終わってから、初めて会った時の話が出た。「何であの時ほかの教師に変えなかったんですか?」私はやっとあの時の疑問を山田さん夫婦に聞いた。「先生は可愛いからさ、ふふふ、、、」私はそれを聞いて、顔が熱くなった。「先生、一期一会って言う言葉聞いたことがある?人と人ってさ、出会うのが不思議な縁だよ。何の罪もなく、ただ緊張してる先生を見て、そのとき、一期一会って言う言葉を思い出した。それに、先生が自分の本に書いた字も見た,そんなに真面目で、私たちを大切に思ってくれる先生を変えるわけがないじゃない。だから、先生と一生に一度しかない出会いから、長いご縁になって欲しいと思ってね。」山田さんはそう答えてくれた。山田さんの真剣な目を見て、何かが私の心に芽生えた。

それから毎週一回に山田さんの家に行くようになって、ちょうど二年半が過ぎ、山田夫婦も帰国することになった。

「ポン」一つのボールが私の足にぶつかった。「お姉ちゃん、ごめんね。」可愛い子供の声が私を回想から呼び戻した。「ううん、大丈夫。」私はボールを拾って、子供に渡して、そう言った。子供はボールを持って、友だちのところに走って行った。

私はベンチに座って、目の前の子供たちがキャッチボールをしているのを見ている。投げる、受ける、お互いに楽しくやっている。なんだか心から穏やかな気分になった。別れの悲しみも浅くなった。人と人の繋がりも、投げる、受けるの二つの動作にある。心を込めて、交流すると距離なんかは何でもない。

「ぢんりんりん」ポケットの中の携帯が鳴った。「今、大丈夫? ねえねえ、明日事務所に来ない?新しい学生を紹介してあげるわ。」向こう側にいる陳さんの声が耳に入った……

 

 

 
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