伝承と創造に挑み続けて北京の伝統工芸、景泰藍

 

 

高原=文  馮進=写真

 

景泰藍は、銅の胎に金属の糸で線状細工を施し、ガラス質の{うわぐすり}釉で色を焼きつける七宝焼きの一種で、元代(1206~1368年)に中近東・西アジア一帯から中国に伝わり、明の景泰年間(1450~1456年)に盛んになり、また釉に藍色を多用したため、俗に景泰藍と呼ばれる。明・清代の多くの皇帝が景泰藍を好み、皇帝が使う景泰藍製品を製造する工房が造られて、そこに一時は名工が集まり、技術は日に日に磨かれ、「燕京八絶(北京で素晴らしい8つのもの)」の一つとされた。 

 

現代になって、景泰藍の製作技術が煩雑でコストが高くつくために、メーカーは市場需要の変化にタイムリーに応えることができず、衰退の一途にあった。しかし李佩卿さんは、そんな時代に{かたく}頑なに景泰藍に再挑戦するために創業した。彼女は古いこの工芸が死に絶えることはなく、必ず生気を取り戻すことを信じていたからである。 

 

人生の全てをこの仕事に 

 

今年61歳になる佩卿さんは、満州族の正黄旗(清朝皇帝の近衛兵にあたる)出身の生粋の北京っ子である。幼い頃、父が書画を愛し、画家の斉白石などの有名人と頻繁に行き来していたため、彼女も幼い頃から中国画に親しみ、誰かに師事することはなかったが、思うがままに絵を描くことができた。19歳の時、彼女は中国最大の工芸美術企業、北京工芸美術廠に入り、師匠について景泰藍の製作を学び始めた。まず5年間、磨きをかける仕事をした後、美術という素地があったために選ばれて、釉を線状細工の隙間に入れる仕事を6年間学び、その後、検査科で3年仕事をして、本体製作、線状細工、焼成技術などについて深い理解を得ることとなった。さらに生産調整、管理者、販売員なども務め、景泰藍の製作から販売までの全てに習熟し、20年以上もの充実した年月を過ごした。

 

 李さんは「この業界では、10年間働いて小学生レベルに、20年働いて大学卒業レベルに達するのがやっとです」と言う。しかし、彼女がやっと一人前になったと思った時に、北京工芸美術廠が倒産してしまった。彼女は「その時私はもう47歳で、ずっとこの工芸を学んできて、青春も全てこれに捧げていました。この業界を出てしまっては私はまるで廃人で、清掃とか保母さんの仕事くらいしかできません。こんなに夢中になっているならいっそのこと、自分で景泰藍を作る会社を開いてしまおうと決心したのです」と、感慨深げに語る。

 

 当時彼女の周囲の人はみんな、そんな商売は見込みがない、どうしてお金を借りてまでそれをするんだと言った。しかし彼女は、「先祖代々600年余りにもわたって伝承されてきた文化がもう駄目になったなんて、私には信じられません。工場が倒産したのは市場の変化に適応できなかったからで、私はこの工芸に詳しいから、力試しをしてみたいのです」と人々に語った。

 

伝統の技の伝承 

 

創業の初めから、想像を絶する苦労が待ち構えていた。李さんは何人かの工芸美術工場のベテラン職工たちに声をかけて一緒に禄頴釉芸工芸品有限公司を起こし、場所がなかったので友人の車庫を借りて作業場とした。車庫では火を起こすことができず、焼成炉を買うお金もなかったので、彼女は釉を半分入れた瓶をビニール袋で包み、人の電気炉のところに持って行って焼いた。途中で釉が乾きかけていたら、小さな霧吹きで湿らせてまた進んだ。 

 

今の彼女の工場の規模は昔とはまるで異なる。今ここでは北京で最も完全な景泰藍の伝統工芸手法が保存されており、それは600年前から変わっていない。本体製作にせよ線状細工にせよ、磨きにせよ、すべてが手作業で完成され、少しの手抜きもあってはならない。焼成の工程は、他の景泰藍の工場ではもはやめったに見ることのできなくなった方法であり、全てのものが人の手によって一つ一つ炉に入れられ、温度や時間などは全て経験によってコントロールされる。李さんが誇りに感じるのは、北京のその他の景泰藍工場は基本的にベテラン職人が支えているが、彼女のところは多くの若い弟子を抱え、彼女自身も6人の弟子に教えていることだ。600年もの間伝わってきた景泰藍の工芸は、彼らの手を経て後世に伝えられてゆくだろう。

 

斬新な表現を目指して

 

李さんの作品は全て最も伝統的な景泰藍工芸によって作られているものの、外観と表現内容は、伝統的なものとはまったく異なる。例えば彼女の最も有名な作品は、フランスや米国などの国際工芸美術大会で金賞を受賞した『蝶舞』『魚韻』『春妹』の三つで、それらは中国の伝統的な景泰藍の瓶や箱などの外観の常識を打ち破り、誇張された造形を持っていて、装飾感に富み、色使いも伝統的なものより豊富に大胆になっている。素人から見れば、何種類か色が増えたところでたいした違いがないように感じるだろうが、実際は色が異なる釉は固さが異なり、焼成温度も全く異なる。例えば黒と赤の釉は比較的柔らかいが、磁器の白や珊瑚の赤は比較的硬く、焼成に高温が必要とされ、白の釉がきちんと焼けていないのに他の色が焼け過ぎてなくなってしまうこともある。同じ器の上で完全に色を出すには、細心の設計と繰り返しの実験が必要となる。

 

その他にも李さんの作品は景泰藍の表現の範囲を広げている。『春妹』の中の美しい少女はゴッホの『麦畑』にインスピレーションを得たものであり、海底世界を題材にした「魚シリーズ」には、ミロやシャガールの影響がみられる。これらは伝統的な景泰藍には決して出現しない題材である。こうした伝統的なものと現代的なものの融合が作品の表現に独特な魅力を生み出しており、このために中国の指導者たちは外国の友人へのプレゼントに、しばしば彼女の作品を使う。これは李さんの新しいものを生み出そうという努力への肯定であり、彼女にさらに前進する力を与えるものでもある。

 

 

 
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