車内までレトロ感たっぷり
大連っ子は古い市電にひとかどならぬ深い愛着を持っている。2007年、大連は1930年代に製造された市電車両の改造を行い、古い市電車両が再び人々の前に姿を現した。木製のシート、車両のトップに備えつけられた古めかしいライト、褐色の取っ手に加え、運転士の操縦レバーなど、改造後の車両には多くの過去を示す記号が残されている。
電車内の座席上方には数多くの古いモノクロの写真が飾られ、乗客はそこから市電が大きく移り変わった世の中と交通の歴史において担った重要な役割を読み取ることができる。1928年に撮影された1枚の写真からは、当時の「満鉄」というプレートの入った市電は車体の色で等級付けがなされており、白い車体の電車には外国人が乗り、中国人が乗るのは赤い色をした等級の低い「労工車」だったことが分かる。現在では、こうした屈辱の歴史は過去のものとなり、再び繰り返されることはない。
市電にはかつてひとつの伝統があった。それは運転士がすべて女性だったことだ。1948年、大連市交通公司は最初の市電運転士学習班を開催、ここから女性運転士が市電を運転する伝統がその後数十年にわたって築かれた。現在では運転台に若い男性の姿も見られるようになったが、女性運転士の比率は依然として90%前後を占めている。彼女たちの多くが40歳前後の中年女性だが、そのさっそうとした姿は大連の市電を代表するイメージとなっている。
大連における都市交通の発展に伴い、地下鉄や「軽軌」と呼ばれる近郊鉄道の整備が飛躍的に進んでおり、古い市電は目下1路線が残るのみとなっている。しかし、いかに時代が移り変わろうとも、古い市電は依然として大連の大通りや路地を行き交い、やさしい文化保護者としてこの都市を見守っている。 |