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白茶の香りに千年の歴史 | |||||||||
日本にも輸出された坦洋茶 昼下がりに1杯の紅茶を飲む。ある時はレモンの爽やかさを楽しみ、ある時はミルクの香りを味わう―。紅茶は欧米の生活に欠かせないが、日本でも日常生活の一部になっている。砂糖やミルクを加える飲み方は英国から始まったが、英国人が最初に飲んだのは前述のように福安の坦洋村のものだったらしい。 李欽さん(43)は村の党支部書記で、彼自身もお茶を栽培し、作る名手だ。村に入ると茶畑が広がり、車で約10分で村落が見えてきた。約2000人が住み、その90%以上が坦洋工夫茶関連の仕事をしている。
このお茶は1851年から作られ、胡という苗字の人物がいろいろな製茶の技術を試した後、最終的に坦洋紅茶の製造に成功した。製茶技術が細かく凝っていて、製茶職人のみごとな腕前が必要だということで、「みごとな腕前」という意味の「工夫」がお茶の名前に付けられた。その後、坦洋村は対外貿易に取り組み、広州経由でオランダ、フランス、日本、東南アジアなど20カ国・地域以上に販売し、さらにオランダ、英国などの国々の貴族の大好物となった。 坦洋工夫の名声は瞬く間に広まり、内外の茶商人が続々とやって来て、外国商人と取引する商社を立ち上げ、周辺各県の茶葉が坦洋に集まり始めた。当時、坦洋に手紙を出す際には「中国坦洋」と書くだけで届くと言われるほど国際的な知名度が高かったそうだ。その後、1881年から1936年の50年余、坦洋工夫茶の年間輸出量は1000トン前後で、1881年には2100トン余で茶葉輸出が史上最多の年だった。1915年、坦洋工夫紅茶はパナマ太平洋万国博覧会で金賞に輝いた。 村の茶農家が晴天の日にしか茶摘みをしないのは、良い紅茶を作るためには乾燥が維持されていなければならないからだ。太陽が出て、露が消えてから夕日が西に沈むまで、茶葉を摘み、12時間放置し、茶葉の水分が60%抜けてから、揉みひねり、発酵の工程に進む。時間、温度、湿度の管理が製茶の鍵で、こうした変わりやすい要素をコントロールしようと思えば、長年の経験に頼るしかない。李さんは次のように語っていた。「製茶は易しくないが、お茶を飲むのは簡単。坦洋工夫茶を入れる時には沸騰したお湯を注ぐだけで結構です。複雑な工程を経て入れるなら、時間が遅れ、おいしい瞬間を逃してしまいます」。このように、当地の人々はお茶本来の味を最も重視しています。紅茶は海を渡り、華麗に変身して、多くの家庭に入っている今、原産地の人々は質実と自然をしっかり守っている。
人民中国インターネット版 2014年7月 |
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