日本人戦犯43人目・志村行雄の供述書公開 逮捕者を凍傷研究に移送

 

国家公文書局はこのほど、公式ウェブサイトで日本人中国戦略戦犯・志村行雄の供述書を公開した。これによると、志村は中国侵略期間中、哈爾濱(ハルビン)石井部隊の軍医中佐が海拉爾に来て凍傷の研究を行った際、逮捕した中国人を駅から凍傷研究所まで護送した。

 志村の1954年6月の供述書によると、志村は1902年に日本の兵庫県で生まれた。日本の中国侵略戦争期間中には、海拉爾日本憲兵隊隊長などの職を務めた。

 志村が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。

 1944年6月頃には、扎賚諾爾の炭鉱と発電所を破壊しようとした4、5人を検挙し、「一部ハ特異(特移=特別移送の誤字)扱トシ其他ハ検察庁ニ事件送致シタ」

 1944年12月20日頃には、「哈爾濱石井部隊ヨリ松本(記憶確実ナラズ)軍医中佐来隊シ」、凍傷の研究を行った。護送者を駅から凍傷研究所まで護送し、「該当者ノ海拉爾駅到着日時ノ通報アラン都度海拉爾憲兵分隊ニ命ジ護送セシメタ。右該当者は何レノ憲兵隊ヨリ来タシカハ記憶セザルモ該研究期間(中略)ニ、三乃至四名アリタル如ク記憶シアリ」

 1945年3月には,「海拉爾憲兵分隊ニ於テ延安ヨリ派遣セラレタ共産党員一名ヲ検挙シテ特異扱トセリ」

 1945年4月には、「三河憲兵分遣隊ニ於テ共産党関係者三名を検挙シ特移扱トセリ」

 1945年7月初めには、「満洲里憲兵分隊ニ於テ満洲里駐在蘇聯領事館ノ密偵タリシ中国人一名ガ右領事館員ノ命ニ依リ同地駐屯日本軍部隊ニ謀略放火シタ事件ヲ検挙シ特異扱トセリ」

 1945年8月18日には、逮捕の過程で瀕死の状態となった中国人を部下に命じて殺し、兵営内に葬った。(編集MA)

 

 「人民網日本語版」2014年8月15日

 

 

 
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