日本人戦犯44人目・小林喜一の供述書公開 中国人を細菌実験に提供

 

国家公文書局はこのほど、公式ウェブサイトで日本人中国戦略戦犯・小林喜一の供述書を公開した。これによると、小林は部下に命令し、多くの中国の軍人や愛国者を斬殺・銃殺し、中国人1人を軍医による盲腸炎手術実験に提供し、ソ連の諜者として1人を哈爾濱(ハルビン)の石井部隊の細菌実験用に「特別移送」した。

小林の1954年6月の供述書によると、小林は1895年に日本の埼玉県で生まれた。日本の中国侵略戦争期間中、奉天日本憲兵分隊長などの職を務めた。1945年8月20日、瀋陽でソ連軍の捕虜となった。

小林が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。

1935年11月中旬には、部下に命令して逮捕した中国人1人を軍医の盲腸炎手術実験に提供し、その後、「他の三名と共に四名を赤峰北方一粁の河原で軍刀を以って殺害させました」

1936年7月上旬には、部下に命じて中国人6人を「赤峰北方一粁の河原で軍刀を以って殺害させました」

1936年9月上旬には、部下に命じて中国人3人を「赤峰北方一粁の河原で軍刀を以って殺害させました」。さらに1人を自動車で満鉄赤峰病院に運び、「川崎院長は一名の日本人医師(名は記憶して居りません)と二名で劇薬注射で殺害解剖試験の上死体は病院構内に埋めたと後で申しました」

1936年10月中旬には、部下に命じて中国の愛国者3人を「赤峰北方一粁の河原で拳銃を以って銃殺させました」

1937年9月3日には、部下に命じて張家口第一監獄に収監されていた中国人を監獄の「南方一〇〇米の草原の中に連行銃殺させました」

1937年9月4日には、部下に命じて中国人2人を「張家口東方一粁位の草原と思いますがそこに連行銃殺させました」

1937年9月15日には、部下に命令して中国軍の捕虜1人を「トラックで大同西方二粁位の畑の草原中に連行銃殺させました」

1944年1月には、「利用工作の価値が無い」「ソ聯無電諜者」を「特移扱として哈爾濱石井部隊に送り細菌の試験に供しました」

1945年8月11日、「また戦争もあることだろうから戦時有害分子を釈放するのは困ると思うから処置して撤退準備せよ」と命じ、未釈放だった中国人を殺害した。(編集MA)

 

 「人民網日本語版」2014年8月18日

 

 
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