歴史の節目に回顧と展望

歩平(Bu Ping)氏

前中国社会科学院近代史研究所所長。中日歴史共同研究委員会中国側委員長。中国抗日戦争史学会会長、中日関係史学会副会長を兼任

――最近の日本の政治右傾化を戦後の平和秩序に対する集中的な挑戦の表れと見なしてよろしいでしょうか?

王 第2次大戦後、ファシズム勢力が一掃され、『カイロ宣言』『ポツダム宣言』を発表し、『国連憲章』を制定しました。国連設立など一連の措置を経て、平和的な反ファシズム秩序を構築しました。『カイロ宣言』で甲午戦争以降、日本が侵略によって占領した全領土の返還に言及し、『ポツダム宣言』で日本から軍国主義勢力を除去し、永久に消滅させることを明らかにしました。軍国主義と帝国主義の復活防止も規定されました。これは日本が投降時に受諾したものであり、遵守しなければなりません。

戦後、日本はこのような国際秩序の枠組の中で、平和の道を歩み、民主改革を進め、平和憲法を公布し、かなり長い間、非常に少ない軍事費だったため、これが経済の高度成長の助けになりました。こうしたことこそ、平和が日本にもたらした特典でした。

現在、日本の一部の人々が憲法改正を企図していますが、これは約束した平和発展の道に背きます。集団的自衛権の行使容認は、日本の一部の政治家が日本を対外戦争の権利を持つ国に作り変えようとしていることを明確にしました。

徐 日本の民衆がこうしたことに警戒と抵抗を強めていることも見なければなりませんね。例えば、集団的自衛権の行使容認の件で、安倍政権は本来、憲法第96条の改正を準備し、憲法改正を発議できる衆参両院議員数を各院の3分の2以上から過半数にしようとしました。しかし、世論調査の結果から多くの回答者が反対していることが明らかになりました。安倍政権は憲法改正が困難だと感じ、憲法を拡大解釈して、集団的自衛権の行使容認を図ろうとしました。安倍政権のこの手法自体が立憲主義に反していますね。

このほど、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたあと、首相官邸前で1万人を超える規模の抗議デモが行われ、大江健三郎氏の講演会には2000人余が参加しました。安倍内閣の支持率低下もこの民意を証明しました。

われわれは日本に広範な平和勢力が存在することに信じるべきです。集団的自衛権問題に対し、日本の知識階層の反対がかなり強いようです。平和憲法が日本の名刺です。これを変えると、日本のイメージが損なわれます。われわれは平和の道を堅持する日本人と共に、右傾化を阻止しなければなりません。日本の右傾化は政治の右傾化であり、決して社会の右傾化ではありません。為政者の政治の右傾化を見ると同時に、日本の民主的な平和勢力のことも頭に入れなければなりませんね。少数の右翼分子の声が大きく、沈黙している大多数の声を打ち消しているのです。

歩 問題は、多くの人が平和を望んでいるのに、具体的な話になると、対立することです。また、一部の極端な意見が往々にして拡大され、両国民衆の対立を作り出していることです。昨年、日本の近代史学者がすでにこの問題に気づき、「新しい日中関係を考える研究者の会」を設立しました。彼らは、極端な民族主義に強制されず、日本社会に冷静になるよう呼び掛けています。われわれもこの問題を考えて、認識のズレを整理しなければなりません。例えば、中日にとって共に有益な東アジア共同体に対して、米国は邪魔をする姿勢を崩していません。北米自由貿易圏や欧州連合(EU)が実現したのに、なぜわれわれの東アジアは対立しなければならないのでしょうか。われわれは自らの意志で、未来の新秩序を決めるべきです。

徐啓新(Xu Qixin)氏

80~90年代、中国青年報駐日記者。中日関係史学会副会長、秘書長を兼任。中華日本学会常務理事

――3先生は日本の平和勢力を肯定されました。中国人民は得難い抗日戦争勝利の重要な遺産の一つは、平和的勢力と進歩的勢力との連携だと考えて宜しいでしょうか?

王 実際の話し、中日間には、かなり早い時期からこのような健全な勢力があり、互いに支持し合い、侵略、軍国主義に反対するという共通の目標を持っていました。五四運動の際、日本の世論は中国の学生の暴力的な反日運動だという罵倒の声一辺倒でした。そうした中で、東京帝国大学の吉野作造教授は北京大学の李大釗教授宛に「私は中国の青年が反対しているのは侵略主義、軍国主義の日本であって、平和主義、平民主義の日本ではないことを知っている。彼らの目標は私たちと一致しており、共に日本の侵略的軍国主義に反対しなければならない」という趣旨の手紙を書きました。今日でも、この話には意義がありますね。李大釗は日本の学生に訪中を要請し、吉野教授には北京大学訪問を要請しました。吉野教授も中国の学生の訪日を要請しました。1920年、北京大学訪日団が東京、大阪、京都で行った報告会は、大きな反響を呼びました。双方の先人が提唱した両国青年の交流の歴史は価値があり、もっと多くの人に伝えるべきですね。

第2次大戦に、日本人作家・鹿地亘は中国で日本人民反戦同盟を結成しました。彼は多くの反戦文書を書き、自ら人々を連れて前線に行き、日本兵に対して直接「戦いを止めろ、われわれは軍国主義に反対だ。中国人を殺すな」と叫びました。当時延安の「日本工農学校」と山西省の「日本兵士覚醒同盟」も前線で反戦を呼び掛けました。こうした勇気は貴いですね。反戦活動家の緑川英子は中国で日本に向けて、放送局から反戦を呼び掛けました。

戦後、京都大学の井上清教授はじめ、多くの学者が戦争を反省し、軍国主義、帝国主義を批判しました。また、社会党、共産党などの野党もありました。その後、在野勢力、平和勢力は弱体化します。しかし、日本の民間は平和を希望し、民主を希望するのが今でも主流であることをよく見るべきですね。

歩 1990年代初頭、多くの日本の若者が戦争の真相をよく知らないという問題について、「中帰連」を含む多くの日本の平和団体が日本社会に向けて、侵略戦争を発動した責任について説明しました。例えば、細菌戦や化学戦の展示会などを開きました。90年代に九州大学で開かれたある学会での出来事を覚えています。ある教師が化学兵器は文明的な兵器で、戦闘能力に影響を与えるが生命に害を与えないと話しました。当時、「中帰連」の全国常任委員だった三尾豊さんが大変怒って、あなたがどこでそのような報告をしても、われわれ「中帰連」はそこへ行って、化学兵器が人命に危害を与えることを暴露する、と語っていました。また「中帰連」は『三光』『侵略』『私たちは中国でなにをしたか』などの出版物で、戦争犯罪を暴露し、軍国主義的な右傾勢力に反対しました。

――苦境の中から希望を見出し、全面的な正しい歴史教育を堅持するのが史学会の基本的な立場ですね?

王 私は若者世代に対して、全面的な中日関係史の教育をすべきだと主張しています。私の学生を例に挙げますと、戦争体験はありませんが、両親や祖父母の世代の多くが戦争の被害を受けています。私は両面から中日関係史を見るべきだと彼らに教えています。一面には、日本軍国主義の中国への侵略、残虐行為がありますが、もう一つの面を見ると、中日人民の間に伝統的な友情、文化交流、革命闘争中の友情があります。このように見ると、かなり総合的に中日関係を理解できます。

徐 史学会は日本から来る学者と交流して、私たちの考え方を日本に持ち帰ってもらっています。国内では、民衆、大学生に対して、日本をどのように見るべきかという教育問題があります。日本を敵対国家として見るのではなく、政府と民衆を分けて考えるべきだからです。現在、中日関係は大変困難な状況ですが、大多数の民衆と経済界はこうした状況の長期化を誰も望んでいません。原則問題で、われわれは決して妥協しませんが、有識者の努力によって、いつか中日関係が必ず好転することを信じています。

歩 私の経験談ですが、若者は政治に無関心ですが、説明や教育に十分工夫すれば効果を上げます。中日両国の間にもっと大きな矛盾、衝突があっても、隣国の関係は変えられません。史学会は民間の力として、より多くの人が中日関係に対して冷静な回顧と思考をするようにアドバイスしていきたいですね。

王 困難な時こそ、前向きな明るい要素をたくさん見つけ出し、大きな声で伝えるべきです。中日関係に対処するには、広い視野、広い心、優れた知恵、大局観に立脚することが必要です。中日は隣国として、共に発展し繁栄しなければなりません。そのためにはまず歴史を尊重し、歴史を鏡とし、相互理解を強め、相互信頼を醸成し、健全かつ安定的な関係を構築しなければなりません。

 

 

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