公務員から京劇役者に 新たな可能性への挑戦

 

高原=文  馮進=写真

 劉欣然さんが「乾旦」という役柄を初めて演じたのは、2006年に行われた北京市アマチュア京劇コンテストでのことだった。「旦」とは、京劇において女性の役柄を指し、その中でも、男性の役者がそれを演じることを乾旦という。つまり、日本でいう「女形」を指す。準決勝まで勝ち抜いた参加者は、化粧を施して舞台に上ることになった。楽屋で劉さんは立ち襟の衣装をまとい、喉仏が隠されている状態で乾旦の化粧をしてもらっていた。彼のそばにいた中年女性のスタッフ二人が、「このお嬢さんは本当に背が高いわねえ」と感心し、口々にその美しさを褒めたたえた。彼は恥ずかしくなり、「あの、僕は女性じゃないんです」と慌てて言った。この誤解は、初めて乾旦の化粧を施した劉さんに、乾旦に扮した自分への好奇心を抱かせた。彼は急いで鏡を手に取り、中を覗き込むと、そこには自分でも驚くような、本当に美しい少女が映っていた。

 

 この時から、劉さんは乾旦と切っても切れない深い縁で結ばれることになったのだ。

 

社会人になってからの入門

 

 1978年生まれの劉欣然さんは、幼い頃から少年宮(少年少女が文化活動を行う施設)で声楽を学んでいた。大学では中国語学文学を専攻し、卒業してからは北京市の気象局の仕事に就いた。彼は仕事を始めた後も声楽の練習を欠かすことはなかった。京劇を習い始めたのは、京劇で使われている呼吸法を学ぶためだった。初めは「老生」という京劇の中でも男性の老け役を演じていた。仲間たちは、彼は外見も良く、声も通るため、乾旦を演じてみてもいいのではないかと言った。そこで彼はすぐに、有名な乾旦である程硯秋氏の映画を見た。しかし、テンポが遅過ぎるという印象しか残らず、全く興味が湧かなかった。その後、彼は偶然に、あるテレビ番組で程硯秋氏が創始した程派の継承者、張火丁氏が演じた現代京劇の一場面を見た。彼はたちまちその優美な旋律と節回しに引き付けられ、次第に京劇に魅了されていった。

 

 「現在の若者は京劇が嫌いなのではなく、京劇関係者が人々を、京劇に引き込む方法を見つけ出せないでいるだけなのです。現代社会はテンポが速く、誰もが考えたり振り返ったりすることを嫌い、ストレートな表現を好みます。そのため、ハイテンポの、例えば流水や、快板(いずれも京劇の節回しの一種)のような、朗々と調子の良いメロディーを聞かせることで初めて、若者が京劇に興味を持ち、気に入ってくれるのです」と、劉さんは言う。

 

 積極的に乾旦に狙いを定めた劉さんは、北京市アマチュア京劇コンテストや全国アマチュア京劇コンテストに続けて参加し、全国のコンテストでは金賞を受賞した。それにもかかわらず、彼は本格的に芝居の世界に身を投じようとは思っていなかった。彼はただ、気象局で公務員として勤め続けることを希望していた。「前途有望というわけでもなかったですし、そのままで十分だったんです。時間のある時に自分の好きなことができれば、それで満足でした」

 

 しかしながら、続く二つの劇が彼の人生を根底から変えることになった。

 

プロの京劇役者へ

 

 全国アマチュア大会での受賞は、その世界に劉欣然の名を知らしめた。2009年、香港の映画監督関錦鵬氏が昆劇(江蘇省の蘇州昆山で生まれた地方独特の節回しを持つ地方劇)『怜香伴』の乾旦を演じる2人の主人公を探していた。劉さんは幸運にもその役を射止めた。ほどなく、現代劇『老舎五則』からも、中華民国時代の1人のアマチュア乾旦役者を演じてくれるよう、オファーがあった。この二つの経験は、彼に辛く厳しい試練を与えた。彼は昆劇も、現代劇も学んだことがなかったからだ。全てをゼロから学ばなければならなかった。しかも、稽古と上演に半年かかるので、趣味と仕事との二足のわらじを履くのはまったく不可能で、最終的に、彼は仕事を辞めることを選んだ。

 

 「この二つの劇はどちらも有名な演出家の手による、著名役者が出演する作品で、さらにどちらも主役のオファーでした。当時は、二つの金の卵が一度に落ちてきたかのように感じたものです。だから、まずこの半年は趣味を優先させ、終わってからまた仕事を探そうと思ったのです」と、彼は語る。

 

 稽古中、彼の演技に対する自信はどんどん深まり、これはひょっとしてやれるかも、という気持ちが芽生えてきた。彼は海航新華文化公司という芸能プロダクションと契約を結び、正式に正乙祠劇楼付きの京劇役者となった。

 

 アマチュアだった時には歌がうまいというだけで良かったが、プロになってからは「身段」と呼ばれる劇中の動作やポーズをも身に付けなければならなかった。そのため、すでに30歳になっていた劉さんの苦労は想像を絶するものであった。「初めは驚く表情すらできませんでした。あまりにも大げさに表現していたのです。先生は、おまえが演じるのは女性なんだ、それでは美しくない。少し丹田(へその下の辺り)に気を入れるだけでいいんだ、と言うのですが、この感覚がとても微妙で、自分の理解で、体得していくほかないのです。そのため、本当に難しかったです」と彼は語る。

 

 

多様なジャンルにチャレンジ

 

 自らの役者としての経歴について、劉さんは自分の成功の多くが幸運と、周りの人のおかげだと言う。現在、中国の専門劇団において乾旦役者は、全国でも4、5人という非常に希有な存在だが、出演の機会もまた少ない。しかし、劉さんは幾度となく主役を務めただけでなく、デビューから何年も経たないうちに自らの代表作――『曹七巧』に巡り合ったのだ。これは『金鎖記』(1943年の張愛玲の中編小説で、後に『怨女』と改題し長編小説となる)を改編し、前衛的な京劇作品としたもので、70分間の一人芝居である。京劇に現代劇、歌舞伎などの要素を取り入れ、鬱積した女性の恨み、苦しみやあがきを表現した作品となっている。劇中、劉さんは男女の声を使い分けることで、人物の内心の分裂や葛藤を表現し、観客に深い印象を与え、彼が京劇役者として大きく飛躍するきっかけになった。

 

 舞台の多様化に関し、劉さんは止むことなく試行錯誤を続けている。彼は昆劇も現代劇も演じ、そして『曹七巧』では、1400人を収容できる大劇場から十数人しか入らないような小さなカフェまで、あらゆる場所で上演した。今年も主役として短編映画に出演し、また年末には、ミュージカルへの出演も予定されている。これらのさまざまな演目も、実際にはほとんどが京劇の乾旦の役柄が基礎になって演じられる。「私が学んだのは京劇の乾旦ですが、必要に迫られて異なった演技方法も学びました。もちろん、その時はとても大変なのですが、後でそれが乾旦を演じる上でも利点があることを発見しました。今後もどのような試みであるにしても――今のところはどのようなものか知りませんが――、新しいことに挑戦していきたいと思っています。もし私が乾旦だけを演じていたら、いずれ行き詰まっていたと思います」

 

 
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