400年超える石窟造営

 

田潔 呉文欽=文 佐渡多真子=写真

 

洛陽は河南省西部にあり、洛河の北側にあることから洛陽と呼ばれた(陽は陽光が射す川の北側、山の南側を指す)。中国最初の王朝・夏以降、商、西周、東周、後漢、三国時代の魏、西晋、南北朝時代の北魏、隋、唐、後梁、後唐と最後の後晋までの13王朝がここに都を置いた。1500年余にわたる都の歴史遺産として、出土品40数万点、5カ所の都城遺跡が残っている。北宋の歴史学者・司馬光(1019~1086年)は『洛陽故城を過ぐる』という詩で「古今盛衰の事と問はば、洛陽をば見よ」と詠んだ。
洛陽は古来、日本とは切っても切れない深い関わりがある。607年、小野妹子をはじめ、聖徳太子によって派遣された遣隋使一行は洛陽を訪れ、隋の文化や律令制などを学んだ。1300年前に遣唐使が、朝廷に献上した洛陽のボタン(牡丹)は京都、奈良から日本全土に広がり、しっかり根を下ろしている。

 

洛陽市から南へ13キロ離れたところにある峡谷の東西両側には断崖絶壁が対峙するように高く聳え立ち、その間を伊水が流れ、遠くから見るとあたかも自然の宮門・闕のようだ。東周以来、ここが「伊闕」と呼ばれているのはそのためだ。隋の煬帝の時代(在位605〜617年)に、洛陽が都と定められ、宮廷の城門が伊闕と向きあうように建てられ、また古代の帝王が「龍の化身が天子」と自称したことから、伊闕は「龍門」と名づけられた。

 

奉先寺 盛唐時代(713-766年)の彫刻芸術を代表する石窟寺院。

盧舎那仏(左側)は高さ17.14メートル、頭が4メートル、耳が1.9メートル。龍門石窟で最大の規模と最高の美しさを誇る仏像。

 

絶壁にうがたれた厨子群

東側の香山と西側の龍門山の絶壁には、蜂の巣のような龕(仏像を納める厨子)がびっしり張り付けられ、夜空の星のようにも見えるこれらの龕は龍門石窟の壮観をさらに壮観にしている。龍門石窟がうがたれ始めたのは北魏の孝文帝(471〜499年)が平城(今の山西省大同市)から洛陽へ遷都した493年だった。孝文帝は都の位置が北方に偏っていると、統治に不利だと判断し、また中原にある洛陽が自然条件に恵まれていたことから遷都し、龍門石窟の造営にも着手した。

賓陽中洞、北魏時代の代表的な洞窟、本尊は仏教の開祖である釈迦牟尼。北魏時代には、痩せている人が美人だという審美観があったため、本尊は顔立ちが痩せており、首が細長い
 当時、仏教はすでに「絹の道(シルクロード)」を経て中国に伝来し、孝文帝は儒学振興に力を入れていたが、仏教も崇拝し、寺院を建て、仏教を統治維持の手段とした。寺院や仏閣の他に、仏教石窟寺の造営と仏教彫刻芸術の普及にも努め、石窟開削に踏み切った。伊水両岸から採れる伊闕石が良質で、彫刻に向いていたこともあり、「風水適地」としてここを選んだ。

北魏以降、龍門石窟の造営は東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐、北宋などの諸王朝がバトンタッチして、断続的に400年以上も続けられた。最大規模の摩崖仏寺・奉先寺は唐代に造営され、本尊・盧舎那仏の顔立ちはふくよかで、眉毛も目も細長く、口元にかすかに笑みを浮かべ、優しさの中にも威厳を保っている。民間伝説では、盧舎那仏の顔は則天武后(武則天、在位690〜705年)の容貌を写したと言われる。彼女は出家し尼になったことがあり、仏教には深い思い入れがあったようだ。盧舎那仏が出来上がった時、皇后だった彼女は「化粧代2万貫を寄進」し、群臣を率いて開眼供養に臨んだという記録も残っている。

意欲的な回族の青年ガイド

龍門石窟世界文化遺産パーク管理委員会のガイド・馬丁さん(27)の石窟史を語る熱弁はとどまるところを知らなかった。回族の馬さんは、イスラム教徒だが、仏教を尊び、石窟に対する憧れを抱いていた。10年前、数学とコンピューターの専攻だった大学を卒業したにもかかわらず、ガイドの仕事を選んだのは、収入が安定していることと、両親のアドバイスを受け入れたからだ。就職してから、ますます歴史への興味が募り、今では完全な歴史マニアだ。家には歴史モノの本がたくさんあり、本棚には『世界通史』『中国通史』『唐代タイムスリップマニュアル』などが並んでいるそうだ。

馬さんは毎朝8時20分に出勤し、午後5時半に退勤する日課を繰り返しているが、普通のサラリーマンが休む週末は逆に一番忙しい。馬さんによれば、一人前のガイドになるためには、丸暗記による解説でなく、歴史に対する自分なりの理解を加えなければならない。そこで、休暇を利用して、彼は龕の写真を撮り、気が付いたことをメモして、石窟への理解を深める努力を積み重ねている。その努力が実って、馬さんは管理委員会に所属する40数人のガイドの中で抜きん出た実力が認められ、6人の高級ガイドの1人に選ばれた。

龍門石窟をどう思うかと尋ねると、馬さんはじっと考えてから、次のように答えた。「この石窟には1000年の歴史が凝縮されています。古代人の仏教信仰と石刻芸術を伝えているというだけではなく、別な角度からみた当時の世相や彼らの精神世界を映し出しています」。これはガイドの決まり文句でもなければ、歴史の教科書や有名人の著作の丸移しでもない。日々石窟に身近に接している彼ならではの含蓄に富んだユニークな解説だ。

馬さんはさらに最高クラスの「金メダルガイド」の資格を取りたいと願っている。豊富な知識、身だしなみ、態度から、声の質まで、採点基準は厳しいが、夢に向かって一歩一歩近づいている。

 

1   2   3   4   5   >>  

 
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850