国家追悼日の平和への願い、日本に届くか

 

米国で25日に上映されるアンジェリーナ・ジョリーの監督映画「アンブロークン」が、日本での上映が決まらないうちから日本のナショナリストらの抗議にさらされている。日本の戦争捕虜収容所で捕虜が虐待される場面が描かれていることについて、事実との離反を指摘する声や「完全な捏造だ」との主張が上がり、日本の「ネットウヨク」はこの映画に「反日映画」というレッテルを張っている。同作品は、同名のドキュメンタリー本を翻案したもので、第2次世界大戦に参戦した元兵士のルイ・ザンペリーニ氏が日本軍捕虜として虐待されたストーリーを扱っている。捕虜に関する同様の歴史は日本の軍人の回想録などにも描かれ、実証されている。だが日本の歴史修正主義者らは、第2次大戦における日本の軍人の犯罪を否認し、その歴史観は、アジアの隣国、さらに第2次世界大戦の同盟国側の歴史観と真っ向から対立している。(文:劉迪・日本杏林大学教授。環球時報掲載)

習近平国家主席の南京大虐殺国家追悼日での講話についての日本メディアの報道にも、第2次世界大戦の歴史について日本側に存在する問題が顕在化している。日本の各紙は14日、いずれも大幅な紙面を割いてこれを報道し、習近平主席が中国と日本は代々の友好を続けなければならないとの立場を繰り返したことを伝えた。だが一部のメディアは、講話で触れられた南京大虐殺の犠牲者の人数が根拠を欠いていると指摘し、講話の意味は日本に圧力をかけ、日本を牽制することにあるとの見方を示した。

日本メディアの一部がこのようなマイナスの解説をしていることを残念に思う。どの人にもどの民族にも異なる歴史観があってもよいが、歴史的事実そのものに対しては、どの人もどの民族も謙虚にならなければならない。日本の右翼が歴史観の違いから南京大虐殺という歴史的事実そのものを回避・否定し、米国人の作った第2次大戦についての映画にも抵抗する態度を取ることは、民族の対立を深め、自らの孤立を招くことにつながりかねない。

習主席の講話から、筆者は、古代ギリシャの政治家・ペリクレスが紀元前431年に戦死者の墓地で行った演説、リンカーンが1863年にゲティスバーグ戦没者墓地で行った演説を思い出した。国家指導者が国家追悼において行う演説は一般的に、民衆の意志をまとめる機能を持つと同時に、民族や国家の基本原則についての立場を示し、一種の政治哲学を明らかにする意義を持つ。習主席の国家追悼式での講話も、今後の中国の発展方向を示唆するものだった。2000字余りの講話の中では「平和」という言葉が23回にわたって使われた。中国政府が世界に向け、最初の国家追悼日に、平和な発展と平和の防衛を自らの最も重要な使命として担ったことを示すものだ。

ここ120年でアジアには相次いで2つの勢力が勃興した。最初は日本であり、次は中国であった。日本の勃興の結果は人々の知るところである。今日の中国の勃興は、最初からその平和への願いを世界に示している。中国の勃興は偉大な始まりに過ぎない。中国の発展の道は「脱亜入欧」ではなく、隣国を富まし、隣国と仲良くし、コネクティビティ、アジアがともに繁栄し、ともに勃興する道である。

30年余りの改革開放で、中国は巨大な生産力を生み出した。こうした力はアジアを変え、世界の経済の版図を変えている。こうした変化は、中国国民が平和発展を堅持してきた結果である。中国国民は平和の尊さを深く知るがゆえに、平和的発展を破壊しようとする勢力を嫌う。

第2次世界大戦からまもなく70年が経とうとしている。あの戦争は私たちに多くの反省材料を残した。戦争に対する反省によって、私たちは平和の尊さを理解する。第2次大戦から現在まで、多くの国家指導者や芸術家が戦争を語ることによって人々に反省を促してきた。人類がもしも進歩しようとするならば、過去を絶えず振り返り、悲劇の再演を防がなければならない。このためには芸術家も国家もあの災難から教訓を汲み取らなければならない。(編集MA)

 

「人民網日本語版」2014年12月16日

 

 
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850