「無条件援助」の原則を堅持

 

1950年、中国は朝鮮民主主義人民共和国とベトナム民主共和国に物資を援助し、対外援助事業の幕を切って落とした。

アフリカでの道路・鉄道の建設やバングラデシュでの架橋工事など、中国の対外援助の足跡は60年以上にわたって途上国のあらゆる場所に残されてきた。これら全ては新中国成立当初から始まっており、中国自身の発展が最も困難な時期にあっても止まることはなかった。

タンザニア東部ダルエスサラームとザンビア中部カピリムポシをつなぐタンザン鉄道は、中国の対外援助の記念碑的プロジェクトだ。この鉄道は1975年10月の完成後、両国を結ぶ主要な幹線になり、内陸国のザンビアに輸出用の新しく信頼できる海の出口を提供した。タンザン鉄道は30年以上にわたり、両国の経済発展と都市・農村の物流を促進してきた。鉄道沿線には多くの新興の町が現れ、各エリアの政治、経済、文化の中心になった。

中国は初期の対外援助では2国間援助を中心としていたが、1980年代以降、国連などの国際組織の援助事業に積極的に関わるようになった。1981年、中国は国連開発計画(UNDP)と協力し、途上国間の技術協力プロジェクトを中国で始め、30年以上にわたって他の途上国のために6000人以上の技術者を養成してきた。1996年から中国は国連食糧農業機関(FAO)と協力し、中国の農業の専門家や技術員を途上国に派遣するようになり、2009年末までにアフリカやカリブ諸国、アジア太平洋地域の22カ国に計700人以上を送り出した。中国は対外援助の過程で「無条件援助」の原則を終始受け入れており、あくまで政治的条件を付けず、平等とウインウイン、共同発展を堅持し、自分の力に応じて物事をなし、ベストを尽くし続けてきた。

しかし、中国は1日1・25㌦(約143円)未満で暮らす「貧困人口」を1億人以上抱えており、いかに自国の発展と対外援助の関係を処理するのか、そもそも対外援助をするべきなのかという点について、国内にも疑問の声はある。これに対し、徐偉忠・中国現代国際関係研究院研究員は、援助学の原理から言えば経済力の比較的強い国家は、通常の投資と貿易の中で比較的多くの利益を得ているため、市場経済の中で相対的に力不足の側の損失を埋め合わせる義務を持つと指摘する。中国はまさに国際的な慣例に従い、世界の経済大国としての責任を果たしている。

陳徳銘・前中国商務部(部は日本の省に相当)部長もこれについて自身の考え方を語ったことがある。陳氏によれば、国際社会の援助がなければ、中国は世界第2位の経済大国に成長できなかった。中国が過去30年で受けた無償援助は70億㌦(約8009億円)、借款は1400億㌦(約16兆174億円)を超える。恩に報いる伝統を持つ文明国として、援助されるだけで援助しないわけにはいかないと陳氏は主張する。

 

 

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