櫻井毬子「日中関係はシステムではなく、人で動く」

 

帰国してすぐ、夏の大学生訪中団で一緒だった後輩のMくんから連絡が来た。記者の卵でもある彼は、私との対談をまとめ、年明け最初の記事にしたいのだと言う。私は困惑した。ただでさえ口下手なのに、思うところのたくさんあった今回のような体験を、上手く言葉にできる自信がない。相談の上、彼との共通の友人で今回の訪中七日間を共にした宇佐美さんを交え、スカイプを通じて、夜、三人で対談をすることとなった。

 

私にとっては、今回で四度目の訪中だった。出発前の私は、いま思うと驚くほど身軽で、心の重荷が全くなかった。それは、日本の青年代表団の一員とはいえ、個人間での温かな交流ができればそれで良いのではないかという思いがあったからだ。日本科学協会の方から、人民大学で悪化する国民感情に関してディスカッションの予定があると連絡をいただいた時にも、特に自分の考えを紙にまとめたり、何か資料にあたったりして準備しようとは思わなかった。その場で、個人としての相手の想いを受け止め、自分もまた率直な意見を発信できればいい、そう思っていた。北京入りしてみると、旅の仲間の九人も、これまで個人の交流に重きを置いてきた人が多いということがわかった。

 

しかし毎晩のように議論を重ね、時に白酒を酌み交わしながらの本音トークをしていくうちに、私たちの考えは少しずつ変わっていった。日中交流はもちろんだが、日本人同士で話をするという日日交流をしている時にも、いままで見えていなかった中国、そして気づくことのなかった日本にハッとする機会が多々あったのだ。人民大学での議論の続きはホテルの部屋にまで持ち込まれ、南京大虐殺記念館に行った日にはそこで感じたことをお互いに包み隠さずぶつけ合う。皆の意見にじっくりと耳を傾け、時に皆の気持ちをたっぷりのユーモアでときほぐしつつ、核心部分はズバッとつく倉沢さんや、ただひとりの社会人として、皆が気づかないような視点から切り込んでいく平原さんを中心に、議論は深夜まで続いた。

 

そういう話をしていると、自分が普段いかに何も考えずに生きているかということを思い知って恥ずかしかったし、同時に不思議な気持ちにもとらわれた。長い時間をかけて付き合ってきた友人同士ですら話せないような政治の話、戦争の話、ひと言では片付けられない感情のもつれについて、つい数日前までは日本のあちこちでバラバラに過ごしていた若者同士で、こんなにも真剣に語り合っている。こういう機会はめったにないのだと改めて感じた。そうして語りあう中で見えてきたこと―それは訪中団員として出会った私たちは、日本の若者の中では比較的日中関係に関心のあるほうではあっても、結局のところ、親日知日の人々と断片的な交流してきたにすぎないのだということだった。

 

もちろん、個人の交流も非常に大事だ。断片的な交流であっても、それがきっかけとなって、のちのち大きな交流へと発展していく可能性も充分にある。しかしただ与えられた機会を消化し、受け身で交流しているだけでは、それ以上先へは進めない。いつの間にか、私はこう考えるようになっていた。北京入りして間もない頃に、某学生団体の代表をつとめる宇佐美さんが、日本での日中交流のイベントの場には日本に関心のある一部の人しか集まらず、その他大勢の中国の人がどのようなことを考えているのか、生で感じられる機会が少ないことが問題だと話していたが、本当にその通りだと思った。今回の訪中では、いままであまり出会うことのなかったタイプの中国の人との出会いがたくさんあった。そのひとつひとつが、とても刺激的だった。

 

Panda杯訪中団での七日間―。どんなに勉強不足な部分が多くても、また精神的にどんなにつらいことが起こっても、答えの出ない問題としっかり向き合い、考え続けていこう、目をそむけずに向き合っていこうという思いを強くした旅であった。日中関係はシステムではなく、人で動く。対談の最後でMくんが言った言葉が忘れられない。人民大では、中国人観光客に対するビザの緩和で、一人でも多くの中国人に生の日本を見てもらうことが大事ではないかという提案をしたが、最終的にはやはり人なのだ。帰国後も、初の中国帰国者の会訪問や日中交流団体の活動、中国留学の二次試験・面接など、中国との繋がりは続いていく。今回新しく出会った日中の友達との絆を一層深めつつ、二○一五年は生活の拠点を中国に置いて日中交流を行い続けていくことを目標とする。

 


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