高原=文 馮進=写真
今年13歳の郭芸心さんが北京市平谷区の緑谷小香玉芸術学校に通い始めたのは、小学校3年生の時だった。この小学校は、月曜日から金曜日までを校内で過ごす寄宿制の学校。昼間は基礎授業、夜は伝統演劇、ピアノ、舞踏の授業を受ける。彼女は、少し前に学校の舞踏団の同級生と共に全国舞踏大会で金賞を取ったばかり。芸術学校の一般教科はレベルが低く、深刻な問題となっており、一般の中学校と比べると、そのレベルの差はかなりのものになる。そのため、多くの親は、子供に幼い頃から芸術専門学校での教育を受けさせようとは思わない。しかし、郭さんと彼女の同級生らは例外。同学校の一般教科は一般の中学生と同じ内容を学ぶため、彼女らも統一試験に参加し、その上、成績上位者にも名を連ねる。これは注目に値する、素晴らしいことだ。
自ら望み芸術の道へ
郭さんが学んでいる緑谷小香玉芸術学校は、公立ながら9年間の一貫義務教育を行っている。この学校名は校長を務める、豫劇(河南省の地方劇)の有名な役者、小香玉さんから取られた。同学校は、まだ創立してから日が浅い。生徒は平谷区内の子供が大半を占めるが、その他の地から来る子供も少数いる。2010年に第1期生を募集した時、郭さんは平谷区第四小学校の2年生だった。彼女は幼い頃からダンスが好きで、小さいながらもきちんと自分の考えを持っていた。彼女は小香玉芸術学校の募集を見るや否や、転校することを決心した。両親が家を空けていたため、面接試験へは祖母に連れて行ってもらった。
彼女の両親は普通のタクシー運転手。以前は平谷の農村に住んでいたが、娘を少しでも良い学校に通わせるため、県政府所在地に引っ越してきた。仕事は、両親のどちらかが昼間に出勤し、もう一方が夜出勤している。毎日1時間以上かけて北京の都市部に行き、そこで働いている。そのため、郭さんの面倒を見る時間はほとんどなく、全ては祖母に任せていた。しかし、時間が経過するに伴って、彼らは娘にすまないと感じ始めた。それからは、娘の要求にはできるだけ応じ、満足させられるように努力した。郭さんの母親は文芸や歌謡を好む。そのため、娘がピアノや舞踏を学ぶことを全力で支持している。芸術学校に通うことで勉強がおろそかになりはしないか心配したが、やはり娘自身の選択を尊重した。数年来、郭さんの一般教科の成績が常に良かったため、両親は心から安心した。
現在、学校内外で郭さんの出演があると、両親は時間を見つけては駆けつける。我が子を心から誇りに思うと郭さんの母親は語る。
夢に向かって楽しい学校生活
郭さんの学校生活は朝6時半から始まる。6時半に起床して7時半から自習、8時から5時まで一般教科がずっとある。夜は夜で自習と芸術の授業があり、8時頃寮に戻り眠りにつく。寮にはテレビがなく、携帯電話を使う生徒もいない。生徒たちは時間が空くとほぼピアノ室かトレーニングルームで過ごす。このように、都市部の同年齢の子供の豊かで多彩な生活と比べ、この学校の子供たちは一途で充実した生活を送っている。
月曜日から金曜日まで、生徒は校内で過ごす。学校の外は一面の田んぼが広がっている。ここは夜になっても、きらびやかなネオンや乗り物による騒音はない。静寂に包まれた星空だけが子供たち一人一人の心の対話に耳を傾ける。このような環境下で育った郭さんは、幼い頃から全国舞踏大会で金賞を取ったり、たびたび学校の舞踏団の一員として各地を公演して回ったり、インタビューを受けたりしてはいるものの、郊外の子供特有の純朴さと謙虚さを失ってはいない。いつもはにかみながら笑い、口数は少ないものの、とてもしっかりとしている。
最近、音楽と舞踏、そして、勉強以外に、彼女の生活に加わった新たなことがある。それは、校内のスーパー経営である。スーパー理事会は24人の生徒から成る。シフト制で商品の発注や陳列、レジを担当し、毎日の昼食と夕食後の休憩時間にオープンさせる。ビジネスと言えるほどのものではないが、みんなとても精力的に取り組んでいる。
芸術を学ぶ喜びを感じて
中学校に上がってからは、郭さんや同級生らの勉強によるプレッシャーが大きくなってきた。芸術の授業は毎日3コマから夜の1時間半だけになった。しかし、毎週、音楽と美術の授業それぞれ1コマ受けているだけの同年齢の子供に比べると、やはりいい方だ。この学校の芸術の授業は楽器、声楽、戯曲、舞踏の4科目を含む。これらを指導する教師は全て、中央音楽学院、中国音楽学院、北京舞踏学院など一流芸術大学の卒業生。全校300余人の学生に対し30余人の芸術の教師がいる。この比率には驚かざるを得ない。さらに、これらの授業は全て学費を払う必要はない。これは、郊外にある平谷区の子供たちからすると、本当に得難い、また極めて稀な幸運と言えよう。
郭さんの豫劇の教師は、鄭州大学声楽専攻を卒業した張衛方さん。彼女は幼い頃から豫劇を学び、舞台でその才能を花開かせることをずっと夢に見ていた。そのため、初めは教師という仕事に失望を覚えたと言う。その上、現代の子供たちが伝統的な豫劇など好まないのではないかと心配もした。しかし、子供たちの熱意は彼女の憂慮をすぐに吹き消した。生徒たちに彼女の周りで「先生、いつ授業をするんですか。補習してもらえますか。わたしたちリハーサルをしたいんです」と言われると、心から感激するという。
教師の影響、そして指導の下、郭さんはすでに将来の夢を舞踏の教師と決めている。舞踏の成績が優秀な彼女は、ダンサーになることを将来の夢とはしなかった。このことは多少なりとも意外に思える。しかし、彼女は「先生になるということはとても光栄なことだと思います。それに、今、私が学んだものをより多くの子供たちに教えることができるのです」と語る。 |