戦争体験者との対話、勝利の時代の追憶

 

今年は、中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利70周年の記念の年にあたる。中国の人々は70年前、8年にわたる凄絶な抗日戦争の末、偉大な勝利を勝ち取り、世界反ファシズム戦争の勝利にも大きく貢献した。この特殊な年に、我々はいかにこの時期の歴史を記念すべきか。人民網日本チャンネル記者はこの問題について、今も残る抗日戦争を経験した人々への取材を続ける、中国作家協会の作家・方軍氏を訪ねた。

▽ロシアの軍事パレードに涙

方氏はまず、ロシアのウラジオストクの軍事パレードに参加した際の感動から話し始めた。軍事パレードにはミサイル車や戦車など各軍種・兵種の隊列が登場した。だが感動的だったのは、最後に現れた、身近で犠牲となった人を記念しようと自然に集まった一般の人々の行進だった。第2次大戦で国のために犠牲となった家族などの写真を掲げた民衆の列は、延々39分にわたって続いた。

中国陸軍の退役軍人である方氏にとって、軍用機や大砲、戦車、ミサイルなどを見ても、さして大きな驚きはない。だがこうして身近な犠牲者を記念するために自ら集まった人々のうねる波には、涙を抑えることができなかった。「ロシアの軍事パレードで何に一番感動したか」という質問に方氏は、「ロシアの国家の栄誉と一人ひとりの国民の栄誉とがしっかりと結びついていることだ」と語った。

▽抗日戦争の元兵士:南京で2回行われた降伏式

方氏の最近の新書で、『重温勝利時光』(勝利の時代の追憶)という書籍がある。日本の侵略者と長期の戦闘を行った抗日戦争の将兵らが、1945年8月の抗日戦争勝利後、日本軍の降伏式に参加した時の光景を振り返った資料を集めたものだ。

抗日戦争勝利後、中国は降伏受け入れのための区画を16区設け、日本軍の降伏を受け入れた。これらの降伏受け入れ区で日本軍の降伏受け入れに立ち会った中国の軍人の一部は存命だが、平均年齢は92歳に達している。

今年95歳の袁翔斌氏は南京で、降伏受け入れの式典を2回経験した。黄埔軍校17期卒の袁氏は、新編第22師団の廖燿湘将軍下で少校大隊長を務めていた。9月9日に南京で行われた日本軍の降伏受け入れの式典には、再編された新六軍の少校として、部隊を引き連れて立ち会った。中国戦区の日本軍降伏調印式はこの日午前9時、南京中央陸軍軍官学校大礼堂(現在の南京軍区大礼堂)で行われた。中国や米国、英国、フランス、カナダ、オランダ、オーストラリア、ソ連など同盟国の代表47人が立ち会った。日本側は、中国侵略日本軍総司令官の岡村寧次が代表として降伏書に署名した。

その後、この歴史的な瞬間に立ち会えなかったことに南京の民衆が抗議したため、市内の新街口大街の交差点で、一般人に向けた降伏式がもう一度行われた。岡村は式台で南京の人々に長い間頭を下げて謝罪した。2回の降伏式に立ち会った袁氏は、当時の光景を今もありありと思い出すことができる。

 

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