戦争体験者との対話、勝利の時代の追憶

 

 

▽旧日本軍の元兵士「日中は二度と戦ってはならない」

方氏の取材した戦争体験者には、中国侵略戦争に参加した日本側の元兵士も含まれる。1991年から1997年まで日本に留学した方氏は、この間に日本の元兵士を20人余り取材し、帰国後、『我認識的鬼子兵』(私が知る日本兵)を出版した。1998年からは、中国侵略に参加した日本の元兵士が北京に方氏を訪ねてくるようになり、十数人が方氏の家に宿泊したこともある。方氏は彼らに通訳・案内・運転を買って出て、様々な場所での講演の機会も作り、「跪いての謝罪」の実現にも力を貸した。これらの元兵士はいずれも、懺悔し、謝罪し、「日中は二度と戦ってはならない!」と望む人々だった。

方氏はまもなく、『来謝罪的鬼子兵』(謝罪に来た日本兵)という新書を出版する計画だ。本多立太郎や東史郎、伊橋彰一、大芝孝、宮永正風、前田光繁、保谷政治、小林寛澄、山崎宏ら18人のエピソードが盛り込まれている。

そのうちの本多立太郎に、方氏が直接会った回数はそれほど多くはない。だが長年にわたって交わした手紙は100通を超える。二人は自著を贈り合う仲でもある。本多は、中国侵略戦争に兵士として参加する前、朝日新聞社に勤めていた。戦争が終わって帰国した後、一人で新聞社を設立した。この世界最小の新聞社で、本多氏は原稿を一人で組み、一人でレイアウトを考え、一人で印刷し、一人で配布した。紙面には、日本人の投稿が数多く掲載され、戦争への見方や社会への評論や批判など様々な記事が盛り込まれた。手書きの小さな新聞で、配布は郵便局を通じて行っていた。方氏が本多氏から受け取った手紙の多くにはこの新聞が添えられていた。

本多氏は新聞の発行だけでなく、日本各地での講演も精力的にこなした。1986年2月から30年近く行い、その回数は1000回以上、聴衆は累計18万人以上に達した。1931年から1945年まで日本が行った中国侵略戦争を反省し、戦争体験者として、中国の戦争捕虜を自分がいかに殺したかを日本の人々に伝えた。日本が教科書を通じて本当の歴史を若い世代に伝えることを訴え、書中では、「また戦争を起こしたいという人がいるなら、まずその戦争という列車で私をひいてから行け!」と書いている。

方氏は、日本人は、右翼の考えを持つ人も含め、戦争に参加した日本人元兵士の考えや思想をまず聞いてみるべきだと主張する。田中角栄や大平正芳、中曾根康弘など戦争に参加したことのある日本の指導者も中日友好推進の歴史的プロセスで何をしてきたかを振り返ることも大切だ。日本の現政権にはとりわけ、以前の世代がしたことを反省し、中国と友好的に付き合うことが求められる。そうすることこそが日本にとって唯一の発展の道でもある。

▽抗日戦争の口述史の収集と整理に尽力

1991年から方氏が取材してきた抗日戦争体験者には、八路軍や新四軍、国軍の元抗日将兵、東北抗日連合軍の元兵士、中国侵略日本軍のうち謝罪と懺悔を訴える元兵士、米国の中国支援部隊「フライング・タイガース」の元パイロット、中国遠征軍の元士官・兵士、日本軍に「慰安婦」として性奴隷になることを強要された人々、中国侵略日本軍によって日本に強制連行され奴隷にされた労働者ら500人余りが含まれる。

方氏はこれまで、抗日戦争の口述記録の収集と整理に取り組み、大量の一次資料を入手してきた。国内ではこの分野の取り組みの開拓者であり、第一人者でもある。「抗日戦争勝利から70年が過ぎた。抗日戦争が偉大な巨著だとすれば、私たちは今、最後の1ページをめくっていることになる」。方氏は、これらの戦争体験者により多くの人が注目し、彼らの口述記録がいつか、かけがえのない歴史資料となることを望んでいる。これらの人々がこの世を去れば、抗日戦争という巨大な書物はその終わりを迎えることとなる。(編集MA)

 

 「人民網日本語版」2015年8月6日

 

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