あなたは世界一のお母さん

 

王浩=文 馮進=写真

「私たちは戦争の体験者として、戦争の辛酸をなめ尽くしてきました。戦争は中日両国の人々に多大な被害と苦痛をもたらしました」と、日本人残留孤児の河本琴さん(74)は中国黒龍江省ハルビンで何度も繰り返した。今年7月11日、残留孤児訪中団は再び中国を訪れた。今回の訪問はわれわれに特別な歴史の記憶を改めてよみがえらせた。

「お帰りなさい」を見て涙

会場に掲げられた「欢迎你们回家(お帰りなさい)」の横断幕を見た河本さんは涙をこらえられなかった。彼女は「中国帰国者・日中友好の会」の他の53人と共に、2007年以来、8年ぶりに中国を訪れた。ハルビン市南崗区政府の会議室で、ハルビン残留孤児養父母友好会、中日友好協会、中国紅十字会はじめ各界の関係者400人余が訪中団を歓迎した。久々に中国の故郷に帰った彼女は、養父母はすでに世を去っているが、懐かしいなまりを聞き、なじみ深い景色を見て感動に浸った。

54名の日本人残留孤児からなる「中国帰国者・日中友好の会」が中国を訪問した。ハルビン市南崗区政府の会議室では、「日本人残留孤児養父母聯誼会」「中日友好協会」「中国紅十字会」および各界の関係者400人余と交流を行った。 

日本人残留孤児は一人ひとり悲しい過去を抱えている。1945年8月、旧ソ連軍の東北出兵と関東軍の敗走に伴って、中国東北地方で暮らし、働いていた日本人も緊急撤退を迫られ、約百万人が難民となった。河本さん一家は避難の途中でばらばらになり、当時3歳だった彼女は母親について、山を越え、川を渡り、何日も歩き続けた。持って来た食物は直ぐに食べ尽くしてしまい、通りすがりの親切な中国人からもらったトウモロコシのマントー(饅頭)を食べて飢えをしのいだ。牡丹江付近に着くと、飢えと過労で母親が重病に伝染し、途方に暮れた母子は現地の農家に身を寄せた。治療もままならず、薬もなく、母親は数日足らずで亡くなった。母親は亡くなる前に、彼女を蘇さんという名の農家に託した。こうして彼女はこの中国人農家に育てられた。

養父は鉄道労働者だった人で、当時は実家に帰り、畑仕事をしていた。家には、男の子が一人いたが、養父母は彼女を実の娘として育てた。ものがなく、生活は苦しかったが、養父母は困難にめげず、彼女を大切に育ててくれた。その後、中国社会は何回も激動期を経てきたが、彼女の生活は何の影響も受けなかった。そして、小さいころからよく勉強したので、彼女は現地の小学校教師になることができ、十数年働いた。  

日本政府が一時帰国拒否

1981年、中日両国政府が協定に調印し、中国残留孤児の訪日肉親探しが開始された。当時、彼女の養父はすでに亡くなっていたが、養母は「お前は日本人なのだから、やっぱり日本にいる親戚を探すべき」と勧めてくれた。彼女はいろいろ考えた末、肉親探しの道を歩み出した。彼女の写真と履歴が日本のメディアで伝えられ、九州に住んでいるおばさんが見つかった。おばさんと面会し、血液鑑定を受けた結果、日本人の身分が確認され、彼女の運命はここから変わった。実父は日本に戻ってから、新しい家庭を作ったが、まもなく世を去った。継母一家は彼女を受け入れなかった。日本政府もそれを理由に彼女の帰国を拒否した。途方に暮れた彼女はやむ得ず法律に訴え、日本政府に抗議した。社会団体と親切な人々の支援によって、1985年、正式に帰国できた。明らかになった戸籍名は「福井」だったが、彼女は最終的に自分で「河本」と決めた。「中国の故郷にはたくさんの河川があり、そして私は日本人であります。そこで河川の『河』と日本の『本』をとって河本とし、中国の名前に琴という字があるので、河本琴と決めました」と笑顔で説明してくれた。

再会する残留孤児と養父母

日本に定住し、新しい生活を始めた彼女だったが、依然として、中国にいる養母のことが気掛かりだった。その後、養母はがんに侵された。養母が亡くなる前に、見舞いに家に戻った彼女に、養母は「お前は私の最高の娘だよ」と言った。「お母さんもこの世で最高のお母さんよ。お母さんがいなければ、今日の私はないわ」と答えた。

歴史を忘れてはいけない

中国人が日本人残留孤児を引き取ることは中日の歴史において特筆すべき出来事だ。遼寧省社会科学院歴史研究所の張志坤研究員と関亜新研究員の統計によると、2000年までに、中国東北地方(黒龍江、吉林、遼寧3省と内蒙古自治区東部)で日本人残留孤児と認定された人は合計3768人で、現在大多数がすでに日本に戻っている。

方正県で墓参りする「中国帰国者・日中友好の会」一行

張研究員は「日本の侵略によって、中国人は多大な被害を受けたにもかかわらず、数千人の侵略者の孤児を引き取った。孤児を成人まで育てあげた養父母は介護が必要な年になっていたが、孤児の帰国を支持した。このようなことは、国内だけではなく、世界の戦争史上にもなかった。これは中国人の博愛精神と寛大な心を表している」と述べた。

「光陰矢の如し」と言うが、残留孤児はすでに古希の年齢になり、一方、健在な中国人養父母は指を折って数えることができるほどになってきた。しかし、彼らを結びつけてきたこの歴史を忘れるべきではない。戦争の悲劇でも失われなかった人間の愛は、中日両国の人々の善良な人間性と深い愛情の結晶であり、世世代代にわたって銘記し、継承すべきだ。

 

人民中国インターネット版 

 

 
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850