農業や環境で相互協力

 

 日本から来た友人と語らう沈才元さん元江蘇省人民対外友好協会副会長(左)

民間交流は口先だけの友好にとどまってはならず、互いを利する具体的な事業で固め、推し進める必要がある。江蘇省と日本の民間交流では、農業人材の育成が重要な一部だった。江蘇省は80年以降、科学技術分野の多くの若者を研修のため日本に送り出した。彼らは帰国後、地方農業の発展と農民の収入アップのために重要な役割を果たした。

82年、鎮江市農業科学研究所の趙亜夫さんは農業研修生として初めて愛知県の渥美半島を訪れた。気候や地形が鎮江の山地と似ているのを見て、彼はそこでの成功体験を故郷に持ち帰ろうと心に決めた。趙さんは日本から大型ビニールハウスを使ったイチゴの栽培技術を導入しただけでなく、100項目以上のイノベーションを行い、180万ムー(約1200平方キロ)に果物栽培を普及させて農家に多くの収入をもたらした。このほか江蘇省は石川県から導入したリンゴの「ふじ」を徐州の豊県、沛県で普及させた。

農業交流のほか、江蘇省は日本と環境保護分野でも協力を深めている。90年代、石川県は江蘇省に浄水槽設備を贈り、無錫市で太湖の生活排水対策プロジェクトを実施した。江蘇省はその後、大気汚染監視や水環境・土壌修復などの分野でも石川県と多くの協力事業を実施した。これまでに石川県は江蘇省から40人近い環境保護関連の研修生を受け入れたほか、技術専門家を江蘇省に派遣したり、環境保護関連の機器を贈呈したりしている。  

梅山豚は太湖豚の一種で、肉はおいしく、繁殖力が強い。江蘇省は86年、日本側の求めに応じて十数頭の梅山豚を種豚として愛知県に贈った。沈元副会長は「80年代に江蘇省党委員会副書記だった孫頷氏が愛知県を訪問した時、日本側は梅山豚を欲しがった。しかし中国は当時、種豚の輸出を禁じていたため、孫氏は自ら農業部門に働きかけ、なんとか梅山豚を日本に贈った」と回想する。梅山豚を交配させた品種は今も日本で役立てられており、これに関連する双方の交流は今も続いている。

鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の「神苑ぼたん庭園」には、100種以上のボタンが植えられているほか、3組の太湖石がそそり立ち、引き立て合って風情を添えている。太湖石は江蘇省の太湖でとれることからこの名が付いた。鶴岡八幡宮の太湖石は江蘇省からの贈り物だ。沈元副会長は当時の経緯を次のように説明する。「80年代、鶴岡八幡宮の宮司が日中協会を通じて中国側に太湖石が欲しいと申し入れてきました。宮司は父親から受け継いだ宋代の絵画を秘蔵していて、その絵にはボタンと太湖石が生き生きと描かれていたからです。当時、太湖石は現在のようには自由に売買できず、国務院の承認が必要でした。当時の駐日大使だった宋之光氏の協力により、中国側は日本に無償で贈呈することに同意しました。私は日本側の人たちが蘇州に太湖石を選びに行くのに同行しました。その時選んだ太湖石は後で蘇州園林局が日本に送りました」。これら太湖石の由来はその後、中日友好の心温まるエピソードとして記録され、今も神苑ぼたん庭園内に展示されている。

 

人民中国インターネット版 2015年8月