中日関係、和解を望まないのは誰?

 

中国は2015年9月3日、抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年の盛大なる活動を催した。海を隔てた東の隣国の日本からは、再び不協和音が聞こえてきた。菅義偉官房長官は中国の習近平国家主席の記念式典における談話について、「中日の和解の内容」がなく「非常に遺憾だ」と述べた。

日本の高官のいわゆる「遺憾」に対して深い遺憾を感じているのは中国の方だ。現在も歴史の事実を直視しようとせず、侵略と反侵略戦争の性質をないまぜにしようとする国が、他国の首脳の記念談話の内容にいちゃもんをつける資格などない。抗日戦争・反ファシズム戦争勝利記念活動に表と裏から反発する国が、無実のふりをして人々に和解について語ろうとは、どれほど不義でおかしいことだろうか。

冷静に考えれば、平和を愛する日本の一般人、特に日本社会における平和的・進歩的な団体は、中国との和解の実現を渇望している。侵略戦争の被害者側の中国政府と国民は、日本と一日も早く心からの和解を実現することを望まないわけがない。中国は友好と平和に転じるため、中国残留日本人孤児を養い、悔悟し改めた戦犯を釈放し、国家間の戦争の賠償を自ら放棄し、日本側と4つの政治文書と4つの原則的共通認識を形成した。しかし和解の道は日本の釣魚島の「買い取り」による主権をめぐる係争の激化、南中国海への武力による介入の目論見、A級戦犯が祀られている靖国神社の参拝といった間違った言行によって妨げられている。さらに日本の一部メディアは近年、中国を侮辱する報道をしている。これによって日本国民の中国に対するイメージが悪化し続けている。

中日関係の根本的な改善は、政府間の4つの政治文書を基礎とした徹底的な和解が必要だ。しかし「和解」とは大きな政治的問題であり、一人ひとりの具体的な人物、一人ひとりの精神と関連してくる。東アジア社会全体でこの目標を実現するためには、道徳によって理性と相互信頼を再構築し、真の良識・善意ある人々が真相によって解脱する必要がある。被害者側に一方的に忘却を求めることはできない。単純な忘却は軽視であり、赦しを意味するものではない。真の赦しとは、意識的な決定である。赦しは歴史の真相を取り戻すことを基礎とし、被害者側と加害者側が共に歴史を見据える必要がある。こうして初めて偏狭的なナショナリズム、従来の冷戦思考に基づくゼロサムゲームの感情に対抗できる。

菅閣下の発言に「積極的な意義」を見出そうとするならば、彼が再び「中日の和解」という大きな政治的問題に言及し、中日が歴史的な和解を実現できない原因がどこにあるか、人々に思考するよう促した点にあると言えよう。

ドイツの歴史的な和解を見ると、国と民族間の真の和解を実現させるためには、3つの条件が欠かせないとわかる。1)加害者が心から謝罪し、しかもこれを覆さないこと。2)加害者が遭難者モニュメントや記念館を開設すること。3)国レベルで決められた賠償のほかに、被害者に相応の民間賠償を支払うこと。歴史と現実に対する態度に日独の間で雲泥の差があることは明らかで、これも中日の和解が行き詰まる原因である。日本政府はさまざまな場で、それぞれの形を通して侵略戦争について十数回にわたり謝罪してきたが、政府要人、政府高官は侵略の歴史に関する「妄言」と「失言」を繰り返している。「村山談話」での心からの謝罪以外は、外交のニーズを満たすための表面的なものにすぎず、被害者の追悼や民間賠償など言うまでもない。

中日両国はなぜ和解しなければならないのだろうか?結局は、和解が両国民の長期的・根本的な利益に合致するからである。言い換えるならば、中国との和解は日本社会・政治における良心的な取り組みである。安倍政権が日本を率い「戦後」というハードルを飛び越えたいならば、歴史の直視は東アジアの和解が避けては通れない道であることを理解するべきだ。日本は勝手に他者を批判するのではなく、自国に原因を求めるべきだ。こうして中日関係に初めて転機が訪れ、共に希望に満ちた明日を創造できるだろう。(筆者:高洪 中国社会科学院日本研究所副所長)

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年9月8日

 

 

 
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