世界を目指すプロボクサー 脳性まひを克服し不屈精神

 

高原=文  馮進=写真

 

2014年9月、汪強さん(29)は人生で初めてとなるプロボクシングの試合に出場した。短い3ラウンドの中わずかな劣勢が原因で敗北したものの、汪さんにとっては特別意義のある1日となった。なぜなら、彼は脳性まひ患者だからだ。汪さんは6歳まで話すことができず、真っすぐに歩くこともかなわなかった。9歳になって初めて小学校に入学したが、同級生たちからいじめられる毎日。そんな汪さんの体を鍛えるために、12歳になった年からボクシングを教え始めたのは父親だった。いつしか汪さんにはプロボクサーを目指すという夢が芽生えていた。周囲の人達の懐疑的な視線の中、十数年の努力と苦労が実を結び、自分の運命は自らが勝ち取るのだということを証明してみせた。

 

コーチとしての使命

 

初めてプロボクシングの試合に参加した後、汪強という名前は瞬く間に多くのメディアから注目されるようになった。しかし、忘れ去られるのも速く、すぐに静かな変哲もない日常に戻った。現在、汪さんと彼の両親は天津市北辰区にある30平方㍍余りの小さなアパートに住んでいる。両親の寝室には大脳の構造や神経細胞が描かれた図が貼ってあり、ベッドサイドには脳性まひの治療法について書かれたさまざまな資料やメモが置かれている。一方、汪さんの部屋には賞状や証書が所狭しと並べられている。その中でも昨年の全国ボクシングクラブ・チャンピオンシップ66㌔級での優勝トロフィー、そして上海プロトーナメントで獲得した銀メダルはひときわ輝いて見える。

 

 午前9時半、汪さんは自らの名前を命名したボクシングジムに到着する。それから、いつものようにレッスンを始める。2007年からすでに教え始めてはいたものの、練習場所はなく、家のそばにある公園でレッスンをするしかなかった。ところが、13年になると北辰区拜泉里にあるコミュニティーの1室をジムとして月600元(約1万円)という安さで借りることができた。天井には白い紙を貼り、マットには色を塗って簡単なリングとした。そのほかには、サンドバッグやパンチングボール、バーベルなど最低限のトレーニング器具があり、これがこのジムの全てである。汪さんはこの簡単なジムで、すでに30人以上を指導している。最近では汪さんの名前を聞き、四川や河南などから習いに来る人もいるが、生徒のほとんどは近くのコミュニティーに住む人達が占めている。その中にはボクシング好きの父親が10歳の息子と一緒に習いに来ていたり、隣にある病院の放射線技師が夜勤明けに汗を流したりしている。そのほかにも、ジムに通い始めてから1年余りが経ったいじめられっ子の内向的な青年は、3人の不良を1人で倒し、駆けつけた警官に驚かれたという武勇伝を持つ。汪さんの父親は「多くの人は息子の名前に引かれてやって来ます。息子について学べば、ボクシングだけではなく不屈の精神力を培え、前向きなエネルギーをもらえると言ってくれます」と語る。

 

 毎日10時から夜の9時まで、生徒が来れば汪さんは手取り足取り教え始める。誰も来なければ自分の練習メニューを黙々とこなす。ところが、週末の夜になるとジムは一変してにぎわいをみせる。リング上では常に10数人が交代で試合を行っている。これら激しい対抗試合や高ぶる気持ちが、暖房がないにもかかわらず冬の寒さを少しも感じさせなくしている。汪さんはこのほかにも北辰区にある特別支援学校の生徒にボクシングの指導をしている。この指導を通じ、より多くの障害児が信念を持ち、体力をつけるように手助けをしている。

 

支えられて夢実現へ

 

汪さんは未熟児だった。産まれてすぐに脳出血があることがわかり、一時は危篤状態に陥った。6歳まで会話ができず、歩くこともおぼつかず、最も簡単な足し算もできなかった。医師には汪さんの脳性まひは治らないと言われたが、汪さんの父親は決して諦めようとはしなかった。夫婦は手探りながらも汪さんにマッサージをしたり、計算や文字を教えた。普通の子どもなら一度教えればできることも、汪さんには100回教えなければならなかった。努力の結果、汪さんは小学校から職業高校卒業までに、天津市河東区小中学校中国象棋トーナメントで2回も上位にランキングした。しかし、汪さんにとって普通の子どもと同じように生活し、学習することは簡単なことではなかった。その一方で、汪さんにはプロボクサーになるという非凡な夢があった。

 

 現在、汪さんの父親は時計メーカーの工場勤務をしているが、天津武装警察部隊(国内の治安維持などを担う組織)で、ボクシングの指導にあたったこともある。もちろん、汪さんのボクシング啓蒙の師でもある。ボクシングは過酷なスポーツの一つに数えられる。コーディネーション能力に対する要求が極めて高く、脳性まひの子どもは言うまでもなく、普通の人ですら簡単には上達しない。そこで、父親は汪さんの腕をつかみパンチを繰り出したり、ひざまずいた姿勢で汪さんの足を持ち上げフットワークを教えたりした。しかし、今では汪さんへの指導はできなくなってしまった。「現在、息子は世界ボクシング機構(WBO)のプロのコーチがついています。私が何を言おうと聞く耳を持ちません」と話す父親の顔は誇りに満ちている。

 

 身体障害者のスポーツ大会でボクシングは行われない。しかし、汪さんは健常者と一緒にボクシングの試合に参加できる。天津市で行われた芸龍杯アマチュアボクシング大会の優勝に輝いた後、主催者側が脳性まひ患者の参加は適さないだとか、対戦を希望する相手がいないだとかいう理由で繰り返し汪さんのエントリーを阻止していた。幸いなことに2013年、汪さんは上海の有名なボクシングコーチ韓鴻翔さんと知り合った。韓コーチは汪さんの生い立ちに感動し、短期間で技術レベルを向上させる手助けをしただけではなく、プロボクシングの試合会場へ汪さんを連れて行ったりもした。また、汪さんが初めてプロの試合を終えた後、対戦相手は「私は手加減をしようなんて少しも思いませんでした。これはボクシングの試合に対する尊重であり、汪強さんに対する敬意でもあります。しかし、本当に彼がここまで素晴らしい試合をするとは思ってもいませんでした。彼には心から敬服します」と絶賛した。

 

 今後、汪さんはWBOプロボクシングの予選を迎える。その日、汪さんは世界ランキングに彼自身の名前を刻む。インタビューがこれからの夢について及ぶと、汪さんはこれからもさらに多くの試合に出場することで自らの運命を勝ち取っていきたいと語った。父親である汪宝柱さんは同じ質問に対しこう答えた。「私の夢はこの子が9歳の時、健常者と同じように学校へ上がったことで、すでにかなっています」

 
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