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日中農業活性化の架け橋となる

 

宮永 幸則

隣人・中国のことを身近に感じるきっかけとなったのは、私が高校三年生の頃のことだ。中国人留学生の黄さんが、果樹園芸を営む祖父母の家にホームステイをするためにやってきたのだ。北京市郊外の農村地帯で生まれた黄さんは、高校生の頃から日本語を学び、将来は中国で農業の指導者となるために中国農業大学に進学。その後、日本の有機農業や環境保全型農業を学ぶために神戸大学農学部に留学していた。日本のさまざまな農家を訪問し、寝食をともにして農作業に汗を流しながら見聞を深めていた。とても勉強熱心で、家族想いの、綺麗な日本を話す優しいお兄さんだった。

ちょうど10年前のことだから、中国は急激な成長を遂げて経済大国の仲間入りをしようとしている頃だった。急激な経済発展により、工場の増加に伴う工業排水が増加し、農村地帯でも農薬や化学肥料が積極的に使われるなど農業用水の汚染が深刻化していた。黄さんは、「日本では、地域の環境を守るために農薬を減らす農業が行われている。私は日本の農業技術や栽培方法を学んで、中国でも環境保全型農業を広めたいんだ。私は自分が生まれた中国が大好きだ。だから中国の農業のために働きたい」との熱い思いを持っていた。毎晩のように祖父母とともに農業談義をしていた姿が、いまでもはっきりと目に焼き付いている。

高校三年生で進路選択をする時期であったこともあり、私は黄さんから多大なる影響を受けた。黄さんは、三月末をもって故郷の中国へと帰国することとなった。帰国する際、黄さんと「私たちが日本と中国の農業活性化の架け橋になろう!そして、互いのふるさとのために大いに働こう!」と硬い握手をし、夢を誓い合ったのである。私は高校卒業後、東京農業大学に進学し、農業を通して世界の飢餓問題や環境問題の解決に取り組みたいと考え、親元を離れて東京に出るという選択をした。大都会・東京のど真ん中に居ながら、夏休みなどの長期の休みを利用して世界各地の農業生産現場を見て回った。大学では、開発途上国における農村開発を学びたいという同士たちに囲まれ、大いに研鑽し合うキャンパスライフとなった。台湾・淡水大学でりんごの海外輸出に関する調査を行なったり、中国農業大学の留学生と共に中国の農業に関する勉強会をするなど、農業漬けの日々を過ごしたのだった。

大学卒業後、JA全農グループの営農指導員として農業指導に従事してきた。栽培技術から販路開拓や経営のアドバイザーまで、さまざまな経験をすることができ、とても充実した毎日であった。しかし、自分自身が農業の担い手として活躍したいとの思いが強くなり、五年間の社会人生活を経て、昨年春に起業し、現在は滋賀県で農業法人を経営している。今年の春からは、農業に従事する傍らで大学院に進学し学びを深めている。

私は自分の家の二階部分を活用し、外国人旅行者や留学生が農業体験できるよう民泊の受け入れを行なっている。亡くなった祖父母が、日本の農業の素晴らしさや自然環境に配慮した農法を伝えていたように、私自身がいまホストとなってゲストのために場所を提供しているのだ。中国や台湾をはじめ、世界各国からの留学生や旅行者が滋賀の過疎地域にある我が家を訪れてくれる。日々の出会いに感謝しながら、爽やかな汗を流している。

私の夢は、「日本と中国、そして世界」の農業活性化の架け橋になることだ。「人間に胃袋がある限り、農業は永遠に不滅である」という言葉があるように、農業を通して世界をつなげる仕事がしたい。黄さんと再会できるその日を夢見て、私は農業に汗を流しながら、自分にできることを一歩づつ進めていきたい。

 

人民中国インターネット版 2015 年12月

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