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回想記ー雨傘革命に思いを寄せて

 

水野 裕大

見慣れていた道路は、色とりどりの無数の雨傘で埋め尽くされていた。横殴りの雨の中に彼らは立っていた。傘は雨除けのためというよりは催涙ガスをしのぐためだった。テレビに映る、香港の人々が「真の民主主義」を手に入れるべく戦う姿は力強かった。「雨傘革命」と人々はそれを呼んだ。僕の心は哀しみの涙に濡れていた。――分かり合えない哀しみよ。

僕は三歳から12年間という、人生の半分以上の年月を香港で過ごした。そんな僕にとって中国は、いつも隣人であると同時にどこか遠い存在だった。多感な時期を過ごした香港は、僕の中国に対する見方に多分に影響している。

「香港と大陸は全然違うよ!」

当然と言わんばかりに答えられた。日本人学校に通っていた僕が以前、現地の学校と交流した際、そこの学生にふと聞いた時だった。あの頃は中国でメラミン混入粉ミルク事件が起きた後で、香港で売っている安全な粉ミルクが大陸人に買い占められたりして、香港の人々の反感が強くなっていた時期ではあった。

列に並ぶのは香港人、列に割り込むのは大陸人。電車内で(携帯電話に向かって大声で話すときを除いて)静かなのが香港人、飲食をしたり子供が土足で座席の上に立ったりしても注意しないのが大陸人。なんとなく中国人に対して良くないイメージを昔から抱いていた。「メインランダー」はどこか得体が知れず、怖いもんだとばかり考えていたからデモが起きたときも「やっぱりな」って変に納得してしまう自分がいた。

そもそも「香港人」と「大陸人」ってなんだろう。香港に十何年も暮らしていたから、向こうの人々の視点を無自覚に、そして無批判に受容していた。大して中国のことも知らず、というよりは知ろうともせずに中国に対して偏屈な価値観で判断していた。香港で起きたデモは、香港人と大陸人は根底では何が違うのか、など現地に住んでいた頃はほとんど気にかけなかったことについて改めて考える契機になった。何より僕は、香港の人たちがあれほどエモーショナルだったのか、ということを今さらながら知って驚いた。彼らに対してどちらかというとスマートで静かなイメージを持っていたからだ。12年間住んでいて自分は香港の人々のことでさえ何も分かっていなかったのだ、まして中国人については言わずもがなであった。そもそも中国のことを深く知りたいと思ったのは、なにも去年の香港で起きたデモに始まったことではない。日本があの島を国有化して以降、日中関係は緊張状態が続いている。自衛隊のスクランブルのニュースを見るたびに、いつか一触即発で取り返しのつかない事態になってしまうのではないか、という不安が脳裏をよぎった。僕の興味・関心は自ずと中国に向けられた。そんなこんなで大学では日中関係史を学ぶ少人数制の授業を受講した。

「片方だけの情報で物事を判断してはいけません」中国人の先生は僕におっしゃった。ハッとさせられた。さりげない言葉だが、僕の偏狭な価値観はいとも簡単に打ち砕けた。僕は香港でも、そして日本でも中国側の意見や情報を受け入れようとしていなかったことに気付かされた。

先生の教えは一見簡単そうで、意識しないとできなかった。しかし両方の視点で物事を捉えると、今まで歴史問題や靖国問題などで一方的に「中国が悪い」と思っていたものが、そうは言い切れないのではないか、もっと日中が理解を深める余地があるはずだ、など視野が一気に開けたのだ。

父の仕事の関係で、僕は図らずも中国との繋がりを持つことになった。そして僕の未来は中国と共にある、そうでありたい。将来を担う僕らのような若い世代だからこそ、中国との正しい相互理解が求められている。この先も先生の言葉を心に留めながら、中国・香港で素晴らしい経験に恵まれた自分だからこそできる形で、日中の明るい未来に貢献できたらなんて幸せだろう。分かり合う努力、雨傘革命に思う。

 

人民中国インターネット版 2016年2月

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