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隣人「中国」と私~私の狂人日記~

 

山本 勝巳

「大丈夫でしたか?」——中国に留学していたことがあると言うと、決まって帰ってくる言葉だ。自分の想いと温度差のある反応に、マスメディアが映し出した中国像が浮かぶ。まるで別世界の存在でもあるかのように、隣人中国について質問をして来る人に、最後は必ずこう答える「優しい人もいます。百聞は一見にしかず、行けばわかりますよ。」

留学後の想いとは正反対に、私と中国の出逢いはひどく消極的なものだった。英語は苦手、漢字なら何とかなるかもとの理由で、地元の中国語が学べる大学に進学した。安易な選択の結果、1年次には必修の中国語を落とす有様だった。卒業すら怪しい状況から、10年間も中国と関わり続け、今は大学職員として留学生の面倒を見る仕事をやっているのは、やはり中国留学の影響が大きい。

最初は何も出来なかった。スーパーでの買い物、市場での値段交渉、バスの利用方法…生活習慣の多くが日本と違っているのに、それを中国語で説明されても語学力の不足も相まって混乱するばかり。困り果てる私に、容赦なく中国語で話しかけてくる中国人に嫌気がさした。

そんな日々が続く中で、気晴らしに出かけようと地下鉄へ。小額紙幣・硬貨がなく、自動販売機で切符を買おうと20元札を入れるも、何度入れても払い戻される。3、4度繰り返すと、後ろにいたおばさんが「入れる向きが違うのよ」と私の札を取り上げ、代わりに切符を買ってくれた。お礼を伝え、行き先が同じ方向だった事もあり、一緒に乗車、短い間だが弾むように会話ができた。微かな自信が芽生えた瞬間だった。

この時感じたのは、今まで自分はどこかで外国人というポジションに甘えていたという事だった。日本人は外国人と見ると身構えたり、普段とは違った対応を取る。一方中国人は、外国人にも普段と何も変わらない形で接してくる。怒るにせよ、親しくなるにせよ、同じ土俵に立って向き合ってくれる事が嬉しかったし、自分で勝手に壁を作っていた事を恥じた。

内向的な一面を取り除くのに、中国のあいさつ習慣を学べた事は大きかった。留学先の大学の守衛さんが「ご飯食べた?」と話かけてきた。「朝は学生食堂で饅頭を食べた」と答えたら、「これはあいさつで『食べた』とだけ答えればいいよ」と教えてくれた。聞けばその他にも「どこ行くの?」、「何するの?」等いろいろな表現があり、冗談から話かける事も中国ではあいさつの一種らしい。

日本のあいさつは、相手や場面に応じて変化し、最後に一礼をするのが常識だ。相手への敬意からの一礼だが、形式的な面もあり、人間関係の深みは醸し出せるが、広がりを感じないし、封建的な感すらある。対して中国式あいさつは多様性と同時に汎用性があり、それらはコミュニケーションの多角化をもたらし、人と人とを結び付ける効果があると感じた。

「何のためにあいさつをするのか?」——私は様々な人と交流の輪を広げて行く事が「あいさつ」本来の目的であり、つまり「話しかける」ことに他ならないと思い至った。そこで、今まで何気なく繰り返して来た習慣を改める決意をした。結果として「あいさつ」は様々な場面で威力を発揮し、長距離列車の車上で旅行先の地図をくれたおじさん、日本帰国の朝までカラオケで歌い明かした友達に至るまで、心温まる出逢いを与えてくれた。

これらの出逢いは、中国人の中には日本を嫌いな人もいるが、その数以上に日本を好きな人がいる事を私に教えてくれた。残念ながらこの事はあまり知られていない。先日も勤務先の大学で日本人の友達が出来たと笑顔で話す中国人留学生がいた。自分の行動範囲、半径5mで新たな日中関係が動きだしている。

留学時代に書き記していた「北京留学狂人日記」を読み返し、その後の10年間に積み重ねてきた中国人との交流を胸に溢れるほど思い出しながら、今心から思う。「付き合ってみなければ何も始まらない。日中の子どもを救え…、彼らの未来のために。」

 

 

人民中国インターネット版 2016年2月

 

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