2億人を照らす「都市の夢」

 

沈暁寧=文

今日の中国では、農村部や中小都市出身の約2億5300万人が、北京や上海、広州、深圳といった大都会で、自分の夢と豊かな生活を求めるために、日夜懸命に働いている。日本の総人口の2倍に相当する膨大な数の人々は、自分が暮らす都市の建設者、貢献者になっているが、現地の戸籍がないため、居住地の社会福祉を享受できていない。

この不公平な社会現象を是正するため、中国政府は戸籍改革に絶えず取り組み、こうした大量の流動人口が市民と同等の権利を享受し、彼らが長年求め続ける「都市の夢」の実現を後押ししている。

──「定住者」という希望

改革開放戦略の中で誕生した深圳市は、中国でも発展がとりわけ急速な移民都市で、常住人口1850万のうち、外来者が7割を占めている。

深圳での生活が20年になる北京出身の臧建鳴さんは、1995年に深圳行きを決めた時のことを今でもはっきり覚えている。まず言われたのは「辺防証」を作らなければならないということだった。「辺防証」とは、正式には「中華人民共和国辺境管理区通行証」といい、国境地域に行く時に必要になる身分証明書だ。当時、香港地区に隣接する深圳では厳格な流動人口管理措置が行われており、これがないと、深圳経済特区に入ることさえできなかった。そして、深圳で仕事を見つけた後、臧さんはまた規定に従って「労務暫住証」(以下、暫住証)を作らなければならなかった。これは仕事で一時的に居住することを認める許可証で、有効期限が1年間のため毎年更新する必要があった。

「作らないわけにはいきませんでした。これがないことを警察に知られたら原籍地への送還です。それを考えると夜も眠れませんでした」と、臧さんは振り返る。「ある時、夜遅く家に帰る途中で警官に職務質問されたことがあります。あいにく暫住証を携帯しておらず焦りました。どうにか友人に連絡して取ってきてもらい、ようやく放免されて帰宅できたのです」。この件を苦い教訓に、その後彼は外出時には必ず暫住証の携帯を確認するようになった。しかし、必要なのは暫住証だけではなかった。「いずれにせよ、深圳で私にできるのは働くことだけです。そのほかの証明書が必要なことは、全て北京に帰って手続きしなければなりませんでした。深圳では、私はよそ者だったのです」

深圳市が2008年8月「居住証」制度を試行すると、臧さんはすぐに申請した。彼は、居住証を手にした時の喜びを今でも覚えている。「『暫住証』と『居住証』、たった1文字の違いですが、ようやくこの都市に受け入れられたと感じました。十数年を経て、ついに私の深圳市での生活は『暫定』ではなくなったのです。居住証は具体的なメリットももたらしました。例えば、それまでは香港・マカオ通行証の手続きは、北京に帰って行わなければなりませんでしたが、居住証を手にしてからは深圳で手続きできるようになりました」と臧さんは振り返る。居住証制度の試行によって、中国の流動人口管理はより人に優しい方向に、大きな一歩を踏み出した。

15年6月、深圳市は新しい「深圳経済特区居住証条例」を実施し、外来の人々により多くの公的福祉をもたらした。新しい居住証を有する人は、子どもの就学、診療、社会保険、住宅賃貸など多くの面で市民と同じ社会保障の権利を享受できるようになった。同年12月までに、新しい居住証の手続きを行った流動人口は78万に達した。今では、深圳の街角では「深圳に来たら、もう深圳人」という標語がよく見られる。

深圳市公安局人口管理処(課に相当)の沈莉瑛処長によれば、08年に深圳市が居住証制度改革を行って以来、これまでに発行された居住証は2185万枚に達し、市の流動人口ほぼ全てに行き渡ったという。これについて、臧さんは新たな感慨を覚えている。「新しい居住証は実質的な価値が高められており、異なる集団ごとの福祉格差が大いに縮小されました。これは、外来の人々が深圳に帰属意識を持つ手助けになります。私は、公共サービスがさらに平等になってほしいと思います。そうしてこそ、夢を求めて深圳へ来た人々がわが家を見つけたように感じられるのです」と話している。

00年から一部の都市で試行されている居住証制度は、14年から全国で全面的に実施されるようになった。専門家は、都市の外来人口を対象としたこの制度は、都市の基本的公共サービスが行き渡る範囲を、戸籍所有人口から定住人口へと拡大する重要な手段になったと指摘している。居住証制度は、中国が流動人口問題を解決し、戸籍制度改革を完成させる新たなステップであり、人々が注目する戸籍制度改革の幕開けを表している。

──簡単には手に入らない

現実的には、都市に住む外来者が全て深圳の臧さんのように順調に公共サービス機能を持つ居住証を手に入れられるわけではない。多くの大都会に暮らす外来者にとって、それはまだまだ望んでもかなわない夢なのだ。

31歳になるソフトウエア技術者の王晗さんは、06年に吉林大学を卒業し北京の中関村にあるIT企業に就職、「北漂(よその土地から北京に来て暮らす状態を自嘲的にいう言葉で、北京で漂うという意味)」生活を始めた。「北京で結婚し、マイホームも買いましたが、居住証はまだ持てません。北京市民と同様にこの都市の各種福祉を享受することはできません。まるで仮住まいしているようで、身は北京で漂っているのに、心は根を下ろせないと感じます」という王さんの言葉は、いささかやるせなく聞こえる。

2年前、王さんと同僚は、海外に商談に行くためにビザを申請した。ところが、相手国のビザ申請手続きが中国の戸籍政策と関係付けられていたため、北京生まれの同僚はスムーズにビザを取得できたが、北京戸籍のない王さんはそうはいかなかった。故郷に戻って関連証明を取得しなければビザが発行されないため、彼は何度も北京と故郷を往復しどうにかビザを取得したが、危うく当初の計画に支障を来すところだった。時代の流れに追い付いていない一部の戸籍制度が、王さんに人為的な不都合をもたらしたというわけだ。

03年から、北京では「北京グリーンカード」と呼ばれる業務居住証制度がスタートした。2年以上の仕事経験を持ち、大学卒業以上の学位または中級「職称(業界ごとに職業能力に基づいてクラス分けし与えられる資格)」以上の資格を有する人材不足業界の高級人材であれば、北京戸籍を有する市民と同等の社会福祉を享受できる業務居住証を申請できる規定だ。「私は条件は満たしますが、北京には私のような人材は少なくありません。申請者が多く、手続きも複雑なため諦めました」と、王さんは話す。

幸い、王さんの奥さんは北京の戸籍をもらえる仕事を見つけた。昨年、2人の間に娘が生まれたが、奥さんが北京戸籍を持ったことで、子育てにおける後顧の憂いを大きく減らすことができた。「妻が北京戸籍をもらえていなかったら、不動産の購入は制限を受けますし、子どもが将来私立学校に通わなければならないことも考慮すると、この先10年で家計支出はおそらく300万元ほど増えたことでしょう」と王さん。

王さんのケースは、北京に住む膨大な外来者の縮図だ。統計によると、00年から現在まで、北京市では年平均60万人のペースで常住人口が増えている。北京の資源や環境が外来者の受け入れ限界に迫り、都市の人口規模を厳格にコントロールしなければならないという背景の下、「外来者により良い公共サービスを提供する」ことと「都市の人口規模を合理的にコントロールする」という二つの命題についていかにバランスを取り、人と都市の協調と発展を実現していくかは、北京のような大都市の管理者の前に置かれた重要課題となっている。

 

 

1   2   >>  

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850